好奇心の賜物。
「エジプトはナイルの賜物」


そう聞いたのは確か中学校の社会の授業でのことである。
文明が栄えるには必ず河が必要であり、
そしてピラミッドや象形文字などなどを創り出した偉大なエジプト文明は、
ナイル川があったからこそ生まれたのだ、というお話。



さて。
歴史音痴の私が歴史について語れるはずはなく(笑)
言いたいのは、私の行動は好奇心の賜物であるということ。

カッコつけて書いてみたが、つまりは
「えーー?何それ〜?(ワクワク)」
と思ったら、
自分で見てみないと、確かめてみないと気が済まない
ただそれだけのことである。

これまでの海外渡航も留学も、ひいてはネイルや鍼灸、スムージーやサプリも、
全て好奇心故なのである。



今回、確かめずにはいられなくなったのが、
「お寺で修行」。
ついでに言うと
「断食修行」・・・


そもそもは仕事の都合上、今月は休みが多く、
「じゃあ前々から興味があった瞑想道場に行こうかな〜」
と思ったのが事の発端である。
こちらは千葉にある、ヴィパッサナー瞑想センターというもの。
ほら、私インド好きだし。
初回は10日間のプログラムなのだが、日程が合わず今回は断念した。


でも休みだし、何かしたい!!

と調べまくり、行き着いたのが断食修行である。

断食に関しては以前からたまーに個人的にやってるので抵抗感は露ほどもないのだが、
今回はお寺。
真冬の寒さ厳しい中まだ暗いうちに起きて掃除をし、お経を唱え、夜は9時に寝る
という生活が不安(笑)
でもそれが醍醐味であろう。


ケータイやPC、テレビとおさらばし、
お寺に身を置いて修行をしたら、
この煩悩だらけの私が少しはマシになるんじゃないか、
小さなことに心動かされることがなくなるんじゃないか
なーんて思って、
ついでに断食したら痩せるんじゃないか(これこそ煩悩。)
などと修行という観点からは有るまじき淡い期待を抱き、
今はまだかまだかと、期待にこの貧弱な胸を膨らませる日々なのである。


あぁぁぁ、楽しみ。
待ち遠しい。


念の為言っておくと私は無宗教ですが仏教は好きです。
スピリチュアルなものに興味はありません。
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【2015/01/09 01:58】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(7)
突然ですが。
突然ですが。


いや、
私も三十路とは言えまだまだ沢山の恥じらいも持ち合わせておりますし、
匿名性を利用したブログとは言え気にする部分はありますし、
ブログが御縁で実際にお会いした方や連絡を取ってる方もいますし。

躊躇われる気持ちは山ほど大きくあるのですが。




痔になりました。涙





それは前触れなくやってきた。

とある仕事の日。
「お尻が・・・・痛い。涙」
という事態が勃発。
仕事してても痛いし気になるしで、どうにもならず。

翌日も痛い痛いと思いながら仕事をする羽目に・・・・

お尻は痛いけど、一日立ちっぱなし、
加え、立ったりしゃがんだりの繰り返し、
重たい荷物の持ち運び。

「もうそれどころじゃねぇ!!」
という気分だけれど、投げ出すわけにも行かず、
泣く泣く働いていたわけ。


話は前後するが・・・
正直に白状すると、一番最初は10年くらい前だったのだ。
昔から便秘だったし、ついつい踏ん張るし、踏ん張らざるを得ないし。
(お食事中の方、申し訳ありません。)
当時はまだうら若き乙女。
薬を買うのすら恥ずかしいし、誰にも言えない。
でも、恥を忍んで市販の薬を買った。

それ以降、3~4年に一度、そういうことがあった。

だから今回も家に会った薬を塗ったのだが、
2日経ってもまだ痛い。



「病院に・・・・行った方が良いのではなかろうか」

という案が頭をよぎるものの、

「いやだいやだ、行きたくない!!」

と一人押し問答。


ネットで症状や病院を調べまくり・・・・
腹をくくった。

一度行けば、今後困ることはないだろう。
病院の壁も低くなるだろう。
何よりこの痛みが止まるだろう。
市販の薬より効くだろう。
そう言い聞かせて。

試してガッテンで、「二足歩行の宿命」だと言ってたし。
女性に多いって言うし。
幸いにも近くに良さそうな病院あるし。
うん。行っておこう。



それでも気は重く、
良くなってきたから行かなくてもいいかなと逃げそうになりつつ、
電車に乗り、タクシーに乗り、病院へ行った。

女性の患者さん、同年代の患者さんも結構いた。


あーーーーー若いドクターだったらヤダな・・・・。
とこの期に及んでも気持ちは暗くなったけど、
呼ばれて診察室に入ればホッとする感じのおじさんドクター。

話をして、診察。
あっという間に終わった。


飲み薬と塗り薬出すから、それ使ってね。
飲み薬はビタミンEが主成分で、血流を良くするから。
1週間位で体に吸収されてなくなるよ。 (吸収されんのか!?)
仕事は?あー立ち仕事か。良くないねー (やっぱりね、そうだよね・・・)
前からこういうことあった?そうかそうか。
一番は、疲れなんだよ。 (え???そうなの???)
疲れてるっていう身体からのサインだと思ってね。
アルコールと刺激物は控えるように。 (気を付けます・・・)
シャワーじゃなくて湯船に浸かって温めてね。


といった感じ。
私は便秘や立ち仕事(座り仕事)が良くないものだとばかり思っていたのだけど、
一番は疲れだと言われてビックリ。
そういうもんなんだなぁ。


しばらくは痔そのものの違和感と、薬の違和感が何とも言えなかったけれど。
今はすっかり吸収された模様。笑
よかったよかった。



病院の壁は低くなったけれど、
出来ればもう痛い思いはしたくない。
そして医療費バカにならないから、これ以上病院行きたくない。←切実


精神科同様、行きたくない病院の頂点に君臨する病院ではあったが、
行ってみればどうということもなく、こんなもの。

もし「病院行こうか・・・」と考えてる方がいましたら、
あまり気にせず受診してみてはいかがでしょうか。

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【2013/09/19 03:04】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(9)
思わずアッパレ。
母にホームベーカリーを贈ってから、早半月。
あれ以降、母は毎日1斤、時には2斤のパンを焼いているらしい。
食パンだけでなく、
ちぎりパンやロールパン(シナモンロールのような)も焼いているらしい…

「25年の進歩はすごい!」
と大絶賛の母。
材料はまーったく同じなのにも関わらず、
キメ細やかで、味も格段に良いとか。
更に前述のちぎりパンなりは、
具を包むなり巻き込むなりしてから再度HBに戻せば焼けるらしく、
手間もかからず美味しい上、話を聞いていてとても楽しそうである。

1万円で大人が遊べる玩具と考えれば、
なんだか既に元を取ったような気さえする(笑)



さて。
実家に於いてはHBで家電25年の進歩に感動しているようだが、
実は私も個人的に
「アッパレ!日本の御家芸!!」
と技術の進歩に感動し驚愕し、称賛している家電がある。

それは、ドライヤー。


遡るは一ヶ月程前のとある晩のこと。
シャワーを浴び、髪を乾かそうとドライヤーを使っていた。
(ちなみにクルクルドライヤーやストレートアイロン、巻きゴテも持っているが、
 髪を乾かすには通常のドライヤーを使う。
 というか、セットするにもたまにしかコテは使わない。笑)
乾かし初めてほんの数分。
いきなり音が低音に変わり、焦げ臭い香りが漂い、温風が出なくなった。
「あ、壊れた。」
と瞬時に思い、流石に使うのを止め
伯母に「壊れた~!!」と言うと、
「もう古いししょうがないねぇ…」


そうなのだ。
一体何年前のモノだかわからないが、
それこそ実家のHB並に長寿命のドライヤーだったのだ。
ドライヤーなんぞ安価なものだし、躊躇わずサヨナラを告げた。

躊躇わずサヨナラしたとは言え、
私も伯母もドライヤーがないと困る。
肩下20cmの長さの私はますます困る。
なんとか海外対応のコンパクトなドライヤーで凌いでいたのだが…

数日後、伯母が
「ポイントが貯まってたからタダで買えた。」
と買って(?)持って帰ってきたのが、
panasonicの最新型「ナノイー」ドライヤーである。

ヨ○バシで店員のお兄ちゃんに
「風量が強いのがいい」
と言ったところ、
「風量も強く、ナノイーの力で…(以下略)」
とアレコレ説明され、話半分に聞き、
まぁポイントだからと半信半疑で購入してきたとのこと。
いや、言うなれば一信九疑だろう。
「うまく買わされた感たっぷりだ!」
と大きな箱を抱えて帰ってきたから(笑)

私は内心「ラッキー☆」と思いながらも
三信七疑くらいで箱を開け、一応ペラペラと説明書を読んだ。

美容家電がブームなのは勿論存じているし、
それを牽引しているのはパナだということもわかっている。
ついでに理系故にナノテクやらイオンというものもわかっている。
が、
所詮ドライヤーはドライヤー
という思いは拭えないし、
ドライヤーに1万云千円かよっ!
と値段にツッコミを入れたし、
「ん~…」と思いながら使いはじめた。
ちょっと大きいし、ちょっと重いし、
腕が疲れる…などと思っていた。


ところが。
使い始めて三日目、
「あれ…?」
と疑問が浮かんだ。
シャンプーやトリートメントは一切変えていないのに、
纏まりが良くなった気がするのだ。
細い・少ない・柔らかい…という髪が、
サラサラしっとりになって
ネコっ毛なのにコシが出て、
「縛るのが勿体ない」気がするのだ。
元々髪にツヤはある方だが、ツヤが増した気がするのだ…

いやいや、待てよ。
気のせいかもしれない。
値段が私に自己暗示を掛けているのかもしれない。
プラシーボかもしれない。
所詮ドライヤーはドライヤーだ。
(あくまで疑いの目。笑)

でも、お風呂上がりに何気なく伯母に言ってみた。
「なんだかさ~
 髪がしっとりするようになった気がするんだよね~」
すると伯母は
「私も!!」
と即座に答えた。
「何も整髪料を付けていないのに、
 まるで何か付けたかのようにしっとり纏まる気がする」
と言うのだ。
「販売の兄ちゃんの話を疑って聞いてたけど、
 嘘じゃなかった、ホントだわ」
と。

ヤハリ気ノセイジャナカッタノネ…



25年の技術の進歩というのは凄まじい。
言葉通り身をもって驚愕と感動である。
日本の家電の技術は素晴らしい。
流石は日本の御家芸。
アッパレ!!

そんなことを思い、
頑張れ日本!!
と心中で日の丸を振っている私がいた。


2位じゃダメなんですか?
はい。
1位じゃなきゃダメなんです。



念のため言っておきますが。
私はpanasonicの回し者ではありません。
アンチでもありません(笑)
ちなみに松下幸之助さんは好きです。
【2012/11/10 02:17】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(8)
女三界に家なし
 〔補説〕 「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、つまり全世界のこと
 女は三従といって、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、
 老いては子に従わなければならないとされるから、
 一生の間、広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なし。


                                        (大辞林)

   *   *   *

留学していた頃、一時帰国して日本に帰ってきた際に、
「私の居場所は一体どこだろう」といつも思っていた。

留学先の、自分で借りたマンションが居場所なのか。

東京の伯母の家が居場所なのか。

実家が私の居場所なのか・・・。


どこが一番居心地がいいかと聞かれてもよくわからなくて、
それぞれ一長一短で。


留学先は、そこに骨を埋めるつもりなんて無いし、
東京の家はあくまで伯母の家であり、
実家は実家だけれど、家を出て今現在では7年が経っている。

実家は自分の家だけれど、こうも離れていると、
どこに何があるのかとか、多少の勝手がわからなくなっていたり、
自分の部屋に知らないものが置かれていたり・・・。


なんだか不安というか一抹の淋しさみたいなものがあった。


そんな話を母にすると

「女三界に家なしって言うからね~」

と言われ、自分がいる場所が自分の場所なんだとその時思った。



日本に帰ってきて就職した。
伯母の家に住み、毎日通勤していた。

でも自分の居場所という感覚は無く、
ある程度の目処が立ったら独り暮らしをするつもりでいた。
(まぁその前に自分が潰れてしまったのだけれど。苦笑)


休職して、実家に帰ったけれど、
実家もまた居心地の悪さというか、なんとなくしっくりこないものを感じた。

自分の居場所なのか、よくわからなかった。


 「自分の居場所ってどこなんだろう」

私はずっとそう思い続けていた。
病気がもたらす不安感や孤独感が、より一層その思いに拍車をかけていた。



正直な話、
ここ最近になって、やっと実家の居心地がとても良くなった。

それは、自分自身が自分の居場所を作る努力をしているから。


ミノムシで寝ている日もあるけれど、
それでも母の負担が減るように、お風呂掃除や食器洗いをしたり、
母の愚痴を聞いたり。
父のご機嫌を取るために、一緒に出かけたり、話をしたり。

そうやって、楽しい空気を作るようにして、
そしたら毎日がなかなか楽しく、居心地が良くなった。


今、私はハッキリ断言できる。

 「居場所は、自分で作るもの」

自分がそこに居れば居場所になるわけではなくて、
居場所にするべく努力というか、気持ちが必要なんだと思う。



さて。
今、私は実家にいて、居心地は良いけれど、自立はしていない。
社会人として生きていく上で自立しなければならない。

この先どうなるのか、今のところ分からないけれど、
それでも私は自立しなければならないし、
また自分の居場所を作っていかなければならないのは確か。

そしてその「居場所」は、自分の為にも周りのためにも、
少しでも居心地の良いものにするべく気遣いが必要なのだと思う。


例えば、東京で独り暮らしすることになったとして。

ゴミ出しをした時に近所の人に遭って、
「おはようございますー」
「今日は寒いですねー」
そんな単純な会話をするだけで楽しくなったり。

近所にお気に入りのカフェを見つけて常連になったり。

自分の部屋を、自分好みのスタイルで統一したり。

お気に入りのカップでコーヒーを飲みつつ一服したり。


そんな簡単な努力で、自分の居場所って作れるんじゃないかと思う。
もちろん、人は一人では生きていけないから、
「人と接する」ということが前提だけれど・・・。



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【2008/01/14 04:26】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(16)
普通であること、普通でいること。
昔々、高校生の頃、当時付き合っていた人が

 「オレは普通の人になるんだ。」

と言ったことがある。
世の中は90%の普通の人が支えて成り立っているから、
だから普通の人になる、と。

当時の若かりし私は、

 「ふーん・・・」

と言いながらも、
そんなのつまんない。夢が無さすぎる。と思った。

そして、どうでもいい話だけれど

 「オレはicoといると自分が惨めな気分になる。
  icoは自分のやりたいことがハッキリしていて、
  それに向かってちゃんと勉強もしてる。
  おまけにモテるし、いつも誰かに取られるんじゃないかって不安だ。

  一方でオレは、自分がやりたいことなんてよくわからないし、
  勉強もお前みたいにできないし・・・」

と彼に言われて、私は腹が立った。
だったら自分も頑張ればいいじゃない、と思った。
そんなセリフ、男が口にするなよとイライラした。


今となっては、私は若かったのだと思う。
そう言わせてしまった私にも責任があると反省してる。


自分がやりたいことがハッキリしてる人間なんてそうそういないし、
彼は真面目で、とても良い子だった。
何より「自分が惨めな気分になる」と素直に言えてしまうくらい、素直だった。
嫌みが何一つない子だった。
3年間、部活も毎日毎日頑張ってた。
高校3年間皆勤賞だった。


でも、”いつも安全牌”をとる、
そういうところが当時の私にはつまらなく思え、
サヨナラをしてしまった。

若かったな・・・私。
本当にごめんね。




時は流れ、今。

私は、若かりし当時「つまらない」と思った「普通」に憧れ、
そしてそれを欲しているように思う。

ずっと、「普通」なんてつまらないと思ってきたのに。


私はずっと、
ちょっとだけ普通じゃないことをしていたくて、そうありたくて。
だからというのも変だけれど、一人で色々な国を旅してこの目で見てきた。
その国の歴史や経済、政治といった背景も勉強したし、
色々と考えさせられてきた。


大卒後、私は新卒として企業に入社せず、留学をした。

でも、そこで気がついた。
「普通」に生きるコトが一番ラクで、おそらく最も陽の当たる道なんだと。
人と違うコトをするということは、
それ相応の努力と、気力と、精神力が必要なんだと。


周りの友達が社会人として歩み始めてる中、
自分だけ取り残されているような淋しさ、怖さも体験した。


留学をしてしまった私は、「新卒」という特権を放棄してしまったわけで、
就職をする歳に「既卒」「中途」扱いになる。
日本という国に於いて、これはとても不利なこと。

運良く就職先が見つかったとしても、
同期のみんなとお手々つないで”いっせーのせっ”と入社するわけではない為、
当然ながら一人努力を必要とされる。


私は就職する際、勿論その覚悟をしたうえで就職した。
居心地の悪さも感じたし、「新入社員教育」が無かったため、
なんとか自分から吸収すべく努力もした。

自分で選んだ道とはいえ、
新卒で就職してれば・・・と後悔もした。

結局、なんとかはなったけど(その後、病気で会社辞めたけど)
それでも「普通」に学校を卒業して就職していれば、
もっとラクだったのになと思わされた。



今、私は決して「普通」とは言えない状況にいる。


一人のいい年をした大人が、働かず、毎日ダラダラとして、
食べては寝て、たまに外出をして、たまに遊んで。
どう考えてもおかしい。
たまに退屈でたまらなくなる。


かと思えば、やはり私は病気らしいし、
今まで身体の丈夫さには自信のあったこの私が、
毎日毎日、数にしたら10錠もの薬を飲んでいる。
そして、
たまに調子が悪くなった時は、
泣いてみたり、落ち込んでみたり、死にたくなってみたりして。
目を瞑れば脳味噌がクルクル回ってる様な感覚に襲われ、
当たり前のように耳鳴りがして、
寝汗をかいて目を覚まし、
吐き気に襲われたり、頭痛がしたり。



普通でいたい。
「普通」がつまらないなんて、もう言わないから。


毎日、平穏に暮らしたい。
ちゃんと働きたい。
お金なんて必要最低限あればいい。

それで、
たまに「あぁ、今日は空がきれいだなー」って嬉しくなったり、
庭にスズメが飛んできて「カワイイな」って思ったり、
木を見て植物を見て肌で季節を感じて、
春は桜に心を動かされ、
夏は暑いって汗をかいて、
秋は紅葉を眺め、
冬は白い雪に心洗われて。

そういう風に、普通に暮らしたい。



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【2007/12/04 04:18】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(24)
認めるということ ~自分のものさし~
海外で生活をしていて、
もちろん楽しいこと、嬉しいこと、感動することが沢山あった。
その一方で、辛いこと、嫌なこと、悲しいことも沢山あった。

自国を出て、外から眺めることで、
改めて日本という国を見つめ直すキッカケになり、
日本の良いところを再認識し、
日本の悪いところにも気がついた。
結局私は日本人で、そして日本を愛してることも気がついた。
(この辺の話はそのうちまた書きます。)


海外生活で一番苦労したのが「文化の違い」。

こう文章にしてしまうと簡単だけれど、
実際に体感すると簡単ではない。

私は大学生の頃、色々と旅をしてきたからある程度は大丈夫だろうと
自分自身に対して変な自負があったのだろう。
その自負は、見事にも崩された。

旅と生活は全く違う。



挨拶一つ、謝り方一つ違う。
食事も、買い物の仕方も違う。
道を歩いていて見る風景も違う。
人々の表情も違う。
何もかもが日本とは違う。

そしてそれら全ての根底には「文化の違い」というものが存在する。


当然、文化の違いは”違い”であり、
どっちが正しくてどっちが間違っているというものではない。


それでも日本で生まれ育ち、日本の文化を身に付けている私には、
「なんで?」と思ったり、イライラしたりすることもあった。


そして結局、私が考えて、最後にたどり着いた結論は、

 「認める」

ということだった。
自分の”ものさし”を捨てて、相手の文化を認めること。
自分が受け入れられるかどうかはまた別として、
認め、尊重することが必要なんだとつくづく思った。


国際交流やら、外交やら、とにかくそういうもの全てに於いて、
まずは自分の自分たちのものさしを捨て、
相手を認めることから始めなければならないのだと痛感した。



さて。
日本人と外国人が交流=communicateする上で、自分のものさしを捨てて
相手を認めることから始めることが必要だと書いたが、
日本人同士ではどうだろうか。


私は日本人同士でも、communicateしていく上でものさしを捨てるというか、
ある程度そのものさしを緩める必要があるのではないかと思う。
相手を認める為には、それは必要不可欠なのではないかと思う。

人はそれぞれ、全く違う遺伝子を持っている。
産まれ育ってきた背景が違う。
親の教育も違う。
学校での教育だって違う。
育ってきた時代も違う。
場所だって違う。
見てきたモノ、感じてきたモノが違う。

そしてなにより、
価値観、priority、感性は人それぞれだ。

全く同じ人間なんて存在しない。
むしろみんながみんな同じだったら世の中が画一的でつまらない。
感動を受けることや感性を刺激されることだって無くなってしまう。
だから違いがあって良いのだと思ってる。


友達や恋人を作るとき、
無意識にこの違いが少ない人を選んでいるのか、
はたまた違いを面白いと思い、選んでいるのか。

その辺はよく分からないけれど。

(ちなみに、とある人から、
 「結婚するなら、限りなく価値観が近く、
  何か一つでも相手に尊敬出来るところがある人と結婚すればなんとかなる」
 と昔言われたことがある。
 それは、ホントにその通りかな、と思う。)


違いがあるからこそ、時に衝突だってある。

子供の頃、
 「人間だから好き嫌いがあって当然だ。
  嫌いな子がいたって当たり前だと思う。
  でも嫌いだからっていじめてはいけない。
  それは差別だ」
と繰り返し母に言われたが(小学校低学年の子に言う台詞か?と今になって思うけど。笑)
大人になった今だって、そうだと思う。


communicateしようと思ってもできない相手、
したくない相手だっている。

私は聖人君子じゃない。
むしろその逆。
嫌いな人は沢山いる。
自分のものさしを捨ててみても、理解不可能な人だっている。

それでも、受け入れることは不可能でも、認めることはしようと思ってる。
尊重する努力はしようと思ってる。

あぁ、こういう人もいるんだな。
なるほど、こういう風に考える人もいるんだな、と。



生きていく上で色々な人と関わり、communicateしていくわけだけれど、
その人と人の間には必ず違いがあり、
そして違いを乗り越えたり、はたまた乗り越えられなかったり。

でもそれでいいじゃない、と私は思う。

乗り越えられなくたって、違うんだって認識することで十分だと思う。
違いを非難する必要は、どこにもなくて、
そんなことをして、そんなことをされて、気分がいい人なんていないと思う。


違いは個性。
十人十色。
世界60億の人間は60億の色がある。

そういうこと。


だから、私は、
鬱病という病気を受け入れられない人がいるのも当然だと思ってる。
他人から理解されなくても、しょうがないと思ってる。
例え、それが家族であっても。

でも、理解はできなくても、受け入れられなくても
「そういう病気があるんだ」「病気=大変な思いをしているんだ」
と、もう少し、世の中全体が鬱病を認識してくれたっていいじゃないって思う。


   *   *   *


皮肉にも、コレが階段を突き落とされる直前に下書きしていた記事。

伯母は、鬱病という病気も、そして病気の私も認めてくれている。
それでも、伯母のpriorityやらで、私は時々突き落とされる。
そんなもんだ。


幸いながら、私の両親は、
「病気のicoも、icoという人間の一部分」として認めて、
さらにちゃんと受け入れてくれている。

さらに母に至っては、本を読んで勉強したりして、
どうしたら私にとって居心地が良いのか考えてくれている。
私が傷付くこと、負担となることはしないでくれている。


病気の私も、私として認め、受け入れてくれている人がいる私は、
とても幸せだと思う。
これ以上の高望みなんてしない。
これで、十分だよ。



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【2007/11/23 02:33】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(14)
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うつ日和。


「うつ病、パニック発作」から脱却。日々のことや旅のことなど徒然に・・・

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ico

Author: ico
age:33
大学時代はバックパッカー。卒業後海外留学。
日本へ帰国後、半年程の"留学ニート"を経て就職。
ところが働き始めて2ヶ月が経った頃、鬱病と診断されました・・・
パニック発作も起こしつつ、なんとか2ヶ月耐えて働くも、ついに休職。
そして追い出され退職。
周囲の協力の下、なんとか這い上がったはずなのに、気付けばオーバー30、フリーター。
歳は崖っぷち、人生は壁だらけの四面楚歌・・・
でもね、悲観はしてない。
没关系,慢慢儿走!


*お願い*
管理人のココロの健康の為、誹謗・中傷等はご遠慮願います。また当ブログの記事・写真等の無断転載、転用を禁止します。リンクもご連絡頂いた上でお願い致します。


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