マザコン娘。
実家では・・・。
毎日ボステリのハナコ(チワワサイズの小型犬)と遊び。
(ボストンテリアは寒いのが苦手なので、コタツはハナコの部屋と化している。)
お母さんと話しつつお茶して。
お風呂掃除と食器洗いをして、少し料理をして、パンを焼いて…
夕食後は両親と3人+ハナコ+猫でコタツでゴロゴロして…

という生活をしていたけれど、先週末東京へ戻ってきた。
いや、本当は病院の予約もあったしもっと早く戻るつもりだったのだけれど、
寒くてなんだか面倒になっちゃった、というのをポロリと母に言ったら
「キャンセルしちゃえば〜。
うちも仕事ヒマだし、icoいると楽しいし」
と背中を押されてしまった(笑)


週末、東京へ戻ると言った私に母が言った。
「いつもね、icoが帰るって言うと、なんだか具合が悪くなってきちゃうんだよね。
だから今日もさっきセルシン(安定剤)飲んじゃった(笑)
なんでだろうね。
自分で思ってる以上に普段退屈してるのかな」

笑って「そうかもね〜」と応えた私は、涙を堪えるのに必死だった。


鬱で実家に帰るようになった頃から、私は母が優しくしてくれたり、
母が疲れてるのを見たり…
その他いろいろ、その度に涙が出てしまうようになった。
何故だかわからないけど、いつもそう。
今だってこの文章を涙ポタポタ零しながら書いてるくらい。



我が家の環境はかなり特殊で、私は子供の頃から母が苦労して我慢してるのをずっと見てきた。
だから「可哀想じゃない」お母さんにしてあげたかったし、今でもそう。

この数年、毎年母を招待して海外に行ってたのも、
以前書いたようにホームベーカリー買ってあげたりというのも、
今回の長期の旅の途中でお土産買って何度か日本へ送ったのも、
今年のお正月、私が御節を作ってご馳走作って、伯母と3人で東京でお正月をしたのも…
少しでも「楽しい」「幸せ」を作ってあげたいから。


子供の頃に感じたことというのは幾つになっても抜けないもので、
それこそ三つ子の魂百まで で…
私はもしかしたらアダルトチルドレンなのかもしれないとふと思った。

それに加え、当ブログの長年の読者の方々にうちの母のファンが多い(笑)けど、
そのくらいよく出来た母だけれど、一方で
嫌な記憶というのも私には沢山ある。
自分が大人になった今となっては、
お母さん、あの時ものすごく大変だったんだろうな、疲れてたんだろうな、
と理解が出来るけれど
昔は悲しかったり傷付いたりしていた。

これらが、私の複雑な心理・性格、鬱になりやすいアタマを作ったのだろうなと今思う。



若干話が脱線してきたけれど。

私はお母さんが大好きで、大好きで…
あとどれくらい一緒に居られるだろうと考えたり、
お母さん死んじゃったらどうしようと思うと、
まるで子供のように泣きじゃくりたくなってしまう。
33歳にもなって…
私はどこかおかしいのかもしれない。

実家に帰ってもう一度両親と生活したいと思ったりもするけれど、
仕事や自分の人生を考えると、どうしても難しい選択肢になってしまう。

どうしたらいいんだろう。
そして、両親がもっと歳を取ったら、どうなるんだろう。
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【2017/01/26 04:03】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(4)
大往生。
我が家(実家)のパン焼き機が壊れたらしい。
(注:パン焼き機=ホームベーカリー。
   うちではずっとそう呼んでいる。)
昨日の午前中、母から泣きのメールが入ってきた。笑


しばらく前からパンの仕上がりは彼の機嫌に左右されていたし、
液晶は見えなくなっていたし、
「そろそろだね・・・」
と話してはいたが、
遂に昨日、彼は捏ねてる途中で逝ってしまった。
享年、25歳。

何故だか我が家にやってくる家電君は、みんな長生きの良い子達なのだが
その中でもパン焼き機はとりわけ長生きだったと思う。
だって家電が25年ですよ?25年。
四半世紀ですって。
彼は25年もパンを焼き続けたんですよ?
彼が我が家にやってきた時、私まだ幼稚園児だったって。


25年前のその頃は、今のようにホームベーカリーは一般的ではなく、
言わずもがな製品の機能は最低限であった。
今の製品のように、ご飯パンや米粉パン、フランスパン、
天然酵母や餅つきやらジャムやら…
などという機能はない。
食パンを焼くか、生地を作るかくらいのもので、至ってシンプル。
イースト投入口も無ければ、葡萄やナッツの投入口も無い。
「ぶどうパンコース」はあるが、
それも「入れたいなら今どうぞ」的なブザーが鳴るだけである。

が、今の高性能のホームベーカリーより、はるかに高かったのだ・・・
(需要の問題だろうと思う)
TOSHIBA製の彼は、25年前に4万円もしたのだ。


ここで、疑問が浮かぶかもしれない。

当時貧しかった我が家、
更にケチな母が、何故に大枚叩いて
生活必需品ではなく、
当時一般的でなく店頭で扱っておらず、お取り寄せまでして、
どうしてパン焼き機を買ったのかという疑問が。

別に焼きたての香ばしいパンにこだわって買ったわけではない。
コストを考えたわけでもない。
(結果論としては25年の大往生で安上がりだったが)


理由は、弟のアトピーが酷かったからである。

弟は、小学校に上がる頃までには寛解したが、
赤ちゃんの頃からアトピーだった。
酷い時は痒さで泣いていた。

幸いにも米と小麦は大丈夫だったが、
大豆がダメだった時期もあり、
普通の味噌や醤油は使えなかった。
卵も同様。
油は全て菜種油を使っていたし、
砂糖はてんさい糖。
ケチャップやマヨネーズなどは当然ダメ。
かんすいもダメだったから、中華麺もアウト。
化学調味料や加工食品も全て排除した。
食品添加物もダメだったから。

その頃母は、曾祖母・祖母・父の為の通常食と、
母・私・弟の為のアレルギー食を分けて作っていた。
小さい弟一人、別のものを食べさせることは出来なかったから。

故に外食も少なかったし、
するとなれば「アトピーが出ること覚悟の上」だった。
某ファーストフードを食べたその夜、
酷いアトピーが出ているのを見て、
「これは身体によくないものなんだ」
と子供ながらに思ったものだ。

三つ子の魂百までと言うけれど、
だから私も今でも当たり前に、
添加物表記を見て買い物をするし、
マヨネーズ類はあまり好きではなく食べない。
ファーストフードの類やインスタントはほとんど食べず、
どれだけ仕事で遅く帰っても、疲れて帰っても、
当たり前に冷蔵庫にあるものでご飯を作る。
意識的に排除しているわけでもなく、努力しているわけでもなく、
それが「普通」なのである。
(おまけに、やはり姉弟。
 同じ母から生まれ、同じDNAを持つ者であり、
 私もアトピーこそ出ないもののアレルギー体質である。)


話が大分逸れたけれど。
その弟のアトピーが酷かった当時、
市販のパンを食べるとアトピーが出たのだ。
市販のメーカーの食パンだとアトピーが酷く、
一方でパン屋さんの食パンだと、アトピーは少し。
それで母は一大決心をし、大枚叩いてパン焼き機を購入した。
自分のお小遣いで。

自家製パンは香りが良く美味しかったし、
何より当初の目的のアトピーが全く出なかったのだ。

それ以降、
普通の食パンだけでなく、
ノンアレルギーのチョコチップ入りパン、
ドライフルーツ入りパン、胡桃パン・・・と大活躍し、
アトピーが寛解した後もパンを焼き続けた。
生地だけお願いしてバターロールやピザ、
あんぱん、ベーグルなども作った。(主に私が。笑)

周囲にも「美味しい」と喜び、楽しみに待っていてくれる人が多く、
私と弟が実家を出た今なお現役で活躍していたのだけれど、
その彼がついに天寿を全うし、昨日逝去した。


母から
「パン焼き機が壊れました。涙
 25年も使ったから仕方ないと思うけど未練タラタラ・・・
 セットした材料を手で捏ねて、今2度目の発酵中。
 なんとか食べられるといいんだけど・・・」
という泣きのメールが入ってきたので、慰めのレスをし、
その後ネットで調べると、
今の製品の機能と安さにビックリ。

「は?
 こんなにアレコレ出来て1万で買えちゃうわけ?
 25年前に4万したのに?」

みたいな。笑


恐らく母はなかなか2代目を買わないだろうし、
買うにしてもめちゃくちゃ悩むだろうし。
(どっちがいいのか、とか。)

だから私が買ってあげることにした。
私が勝手に選んで送れば、色々な意味で悩まず終わりだから。笑

母に
「ちょっと早いお誕生日とクリスマスで買ってあげるね。」
とメールして、
それから一人深夜にスペックを調べ、考え、
でも結局は我が家に於いては
「食パンが焼ければいい」んだよなぁなどと割り切り、
それにも拘わらず、今はアレコレ機能がついているのが当たり前で。

我が家の2代目パン焼き機は、Panasonicに決まった。
明日(もう今日か)、母に届くことと思う。
恐らく明日私が仕事に行く頃にはお礼のメールが届き、
仕事から帰る頃には焼いたパンの写メールが届くだろう。


今日、母に電話した時に言っていた。
「これで死ぬまで使えるね!」

うーん・・・
あんまりそういう想像はしたくないんだけど。苦笑
それでも2代目も、初代に倣い長きに渡り活躍してくれることを願いたい。

テーマ:しあわせの素 - ジャンル:心と身体

【2012/10/25 03:22】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(6)
親孝行 -今私にできること-
明日、また東京に戻る。

病院の為ではなく、伯母が出張にいくから。
伯母の家の猫は、前にも書いたように病気で、
だから伯母がいないときは誰かが病院に連れてって、
そして朝晩と薬を飲ませなければならないのだ。
(また散らかってる家に帰るのかと思うと憂鬱なんだけど。笑)


実家にいて、毎日何をするわけでもなく、
ただ昼寝したり、ダラダラしたり無為に過ごしているのだけれど。
それでも
夕方、母が夕食の支度をしてる音が聞こえると、
なんだかとてもホッとしたり、
両親とくだらない話をして笑ったり。
やっぱり実家はサンクチュアリ。


ちょっと落ち込んだときに母と話をすると、
なんだか気分も上がって、
「あぁ、私は大丈夫」って思えたり。



つい先日、昔の話をしていて、母が言った。

 「お母さん、子供が欲しくて欲しくてね。
  毎月生理が来るとガッカリして、
  子供出来たってわかった時は本当に嬉しかった。
  だからicoは本当に望まれて産まれてきた子なんだよ。

  ●●(弟)は、ちょっと早まったかなー
  失敗したかなーって思ったんだけど。笑」


その後、私は隠れて泣いた。
心の中には嬉しさと少しの申し訳なさがあった。

多分、母がいなかったら、私はもうこの世にはいないと思う。
今までも、そしてウツになってからも何度も母に助けられてきた。
母自身も、大変な思いをしながら生きてきたから、
だからこそ私にいつも的確なアドバイスを与えてくれ、
私を守ってくれるのだろう。



母は、私が幼い頃とても厳しかった。
でも、母はいつも自分のことより私と弟を優先してくれてた。
むかーし、我が家が貧しかった頃、
自分のモノは何一つ買わずに、いつも私たちにしてくれた。

私が幼稚園の時も、少しでも毎日が楽しいように、
持ち物一つ一つに気を遣い考え、
お弁当も工夫してくれて。

仕事が忙しくても、疲れていても、
いつも気に掛けてくれて、面倒見てくれて、

高校の頃は、毎日お弁当作ってくれて。


大学生になって、たまに実家に帰ると、
「交通費」と言って、お小遣いをくれた。

私が一人で海外に旅に出ると言っても、反対したことは一度も無かった。
 「みんなには内緒ね」
そういって餞別をくれた。

留学するときも、そう。
 「海外で、お金ないと余計に寂しいし辛いでしょ」
そういって、私にお小遣いをくれた。


今は、母だって体調が良くないのに、
それなのに私のことばかり心配してくれる。

だからこそ、今私がこうしていること申し訳なさがあって。

 「申し訳ないって思う必要なんてどこにもない」
と言ってくれるけど。
それでも、申し訳なく思ってしまう。



だから、親孝行しなきゃって。

「親孝行、したいときに親は無し」
なんて言うから、できる時にしなきゃって。

初めてお給料が出たとき、父と母にそれぞれお小遣いをあげた。
二人とも、とても喜んでた。

そういえばいつだったか、
母の誕生日に、弟と割り勘でCOACHの財布を買ってあげたことがあった。
母は泣いていた。


「親孝行をしようと思った時点で、もうすでに親孝行が始まっている」
昨日、そんなコメントを頂いたけど、
私の親孝行はまだまだ足りない。


一色まことさんの漫画「出直しといで!」の中で、

 「子供は3歳までに十分親孝行しちゃうんだ。」

って台詞があるんだけど(うる覚えですが)
私は、3歳までに親孝行したのかな。
でもその後の迷惑のが大きいよね。

だから、親孝行するから、元気で待っててね。

今は、

 「私が元気になること。
  どんな小さな楽しみでもいいから何か見つけて、
  楽しく生きていること」


それが最大の親孝行だと思う。

心配ばかりでごめんね。早く元気になるね。


     アンデスの母子
               ボリビアにて。砂漠で出会ったアンデスの母子。

テーマ:家族・身内 - ジャンル:心と身体

【2007/10/03 04:43】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(10)
おとんの話。 -娘が鬱になった時-
前回の話はコチラをお読み下さい。


父と仲良くなり、普通に話し、お腹を叩き合う仲になった今でも、
私は、大事な話は母にのみ話す。
どうしても父に話す気にはなれない。話せない。
そして、父も私には直接聞かない。

今回に限らず、どんな時でもそう。
父は母に「icoはどうしてるんだ。大丈夫なのか。」
と聞くそうだ。



鬱病だと診断され、2ヶ月が経ち、休職する時もそうだった。
電話で泣きながら母に伝えたのみで、
父には、私の口からは何も言わなかった。

結局、例の如く母が父に伝えると、

 「オレにはそういう病気は理解できない
  オレは今まで、爺さんや婆さんを看取って、お袋を食わせ、
  この家を維持するために必死に働いてきた。
  だからそういうのは解らない。」

と言ったそうだ。


頭にきた母が

 「じゃあ、アナタはicoが鬱じゃなくて癌だったらよかったわけ?

 「胃癌の人に飯食えって言ったって無理な話でしょう。
  心臓に穴が空いてる人に、走れって言ったって無理でしょう。
  それと同じように鬱の人に働けって言っても無理なのよ。」
  
 「アナタは自分の予想外の事が起きたから気にいらないんでしょ。
  自分の子供が病気なんだから、
  守ってあげるのが親の務めでしょう。」

そう言うと、父は黙ってしまって、

 「う~ん・・・そうだよなぁ・・・・・」

と言ったそうだ。
(既にお気づきかも知れませんが、我が家は完全に”かかあ天下”です。笑)


そして
 「鬱ってどんな病気なんだ?」
と聞く父に対して、母は
 「自分でネットで調べてみれば。
  去年、アナタが『大腸癌かもしれない』って大騒ぎした時は、
  散々自分で調べてたじゃない」
と一蹴したとか。
(一人で大騒ぎして、結局何でもなかったんですけどね。苦笑)


その後は
 「icoは大丈夫なのか?」
 「いつ(実家に)帰ってくるんだ?」
と母に毎日聞いていたらしい。

 

現在、鬱病はそんなに珍しい病気ではないし、
父の友達にもウツの人はいる。
でもまさか、
自分の娘が鬱になるとは思ってもいなくて、複雑だったようだ。
なんで???なんでicoが????そう思ったらしい。
また、ある意味、私は父にとって自慢の娘だったらしく、
その私が会社を休職することになって、とてもショックだったらしい。
残念、疑問、衝撃、そんなのが入り交じった感情だったのだと思う。
認めたくなかったのだと思う。
私は、父の反応は当然のことだと思っている。


だからそんなのもあってか、
実家で静養し始めて最初の頃は父に気を遣ってた。
あまり顔を合わせない様にしていたし、
鬱の辛さも口に出さないようにしていた。
「お前、早く寝ろよ」
という父の何気ないひと言が辛くて、陰で涙したこともあった。
心配してそう言ってくれていたのかもしれないが、
当時の私には、マイナスの方向にしか考えられなかった。

ちなみに今では、「私が実家にいる」ことが当たり前になり、
私が「東京に行く」と言うと、
「なんで?」「いつ帰ってくるんだ?」と言われるという状態。
私がいることを当てにして、
自分は一人で遊びに行っちゃったり。笑

恐らく、”慣れ”だと思う。

私が毎日家でグータラしていることに慣れたのだろう。
また、諦めがついたのだろう。



私は、父は理解がない人だとは思ってない。
私より真面目な人だし、
暖かい人だってわかってる。
真っ当な人間だって十分にわかってる。
日本に帰国する時に言ってくれた(間接的にだけど)台詞は
父の大きさを私に教えてくれた。
私はその台詞を一生忘れない。
父の生き様も、カッコイイと思っている。


でも、それでも父に直接何か言うことは、
言いづらく、歯痒く・・・どうしてもダメなのだ。
お互い様だけど。笑



会社を辞めることになったとき、
こればかりはどうしても、自分の口から父に言わなきゃと思い、
機嫌の良いときを見計らって、
意を決して

 「おとーん・・・、あのさ・・・・
  会社、辞めることにしたから。
  今のままでいても、お互いに良くないし・・・・」

と緊張して言うと、

 「まぁ、しょうがないだろうな。」

のひと言で終わった。


あれだけ緊張して、考えて、時期を見計らって言ったのに、
「ひと言かよっ!!」とツッコミを入れそうになった・・・・

「どうだった?」
と聞く母に伝え、二人で爆笑した。



最初は、鬱を受け入れてくれなかった父だけど、
今は一応受け入れてくれている(?)ようで、
自分は忙しく働いているのに
私が寝てばかりいても、
タダ飯食っていても、
ダラダラして遊んでいても、何も言わない。
むしろ毎日実家にいるようになったことで、さらに仲良くなった気がする。




私は、うちの母の様な人の方が珍しく、
父の反応の方がフツーに近いのでは、と思っている。
親だって一人の人間だ。
そして人間だからこそ完璧ではない
完璧ではないから、拒否反応だって起こすし、
なんでうちの娘が?と認めたくない気持ちもあるだろう。
受け入れることもできないかもしれない。

血は繋がっているとは言え、
生まれてから(私にしてみれば)18年間一緒に暮らし育ててきてくれたとはいえ、
子供は親の所有物ではないし、
そして親と子は、考え方も、性格も違う他人なのだ。
生きてきた時代、生きている時代だって違う。


鬱を受け入れられるかというのは、
その人のキャパシティや感受性、経験の問題なのかな、と最近思う。

例えばうちの母は、若かりし頃、
今だったら鬱と言われてしまうだろう状況になったことがあるらしい。
また数年前、更年期障害で、どうしようもない不安に駆られたとか。
パニック発作の様なものも起こした。
また子供に対する愛情が人一倍深い人だから、
辛さも、苦しさも、理解してくれ、私を受け入れてくれた。

一方父は、母曰く「全くモノを考えない人」「諦めのいい人」で、
恐らく鬱とは無縁の性格をしている。
だから「理解できない」のだと思う。
それでも”慣れ”と”諦め”もあり、
今ではこうして私を認めてくれている。

父には直接病気の話はしないけど、でも今は親子で仲良く暮らしてる。
私は親に恵まれたとつくづく思っている。


でもその一方で、
だからこそ状況に甘えてるのかな・・・と時々思ったりもするのだが。

(おしまい)

テーマ:たいせつなひと。 - ジャンル:心と身体

【2007/09/09 03:19】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(6)
おとんの話。
昨晩は台風のお陰で風雨の音がすごく、
プチODをして寝た。
(と言ってもハルシオンとアモバンを倍量飲んだだけだけど。)

今日は10時に起きたが、
どうやらロヒプノールがまだ残ってたようで、
お茶を飲んで二度寝したら13時。

その後庭の草むしりをして、
庭のプルーンの木になった大量のプルーンを煮てジャムを作った。
なんだか・・・・ロハスな生活?




さて。
ありがちな話だが、
中学生頃から、大学入学と共に実家を出るまで、
私は父がウザイというか、とにかくイヤだった。
母に対しての反抗期は一切無かったが、
父には反抗しまくりで、
ほとんど話もしなかったし、冷戦状態だった。

ただ、キライかと問われればそうでもなく、
うまく説明できないのが歯痒いのだが、
メンドイというか、恥ずかしいというか、ウザイというか。
話したくない、近寄りたくない、関わり合いたくない、といった感じ。



そもそも父は、とても不憫なことに
親子の愛情や、家族愛というものを知らずに育ってきた人間だ。
よくもグレずに真面目に育ったと、我が親ながら思う。笑

だから、自分の娘である私と、
どう接して良いのかわからなかったのだろうと思う。
家族をどう作っていったら良いのか、わからなかったのだと思う。
今でもそうなんだと思う。



親元を離れて生活するようになって、
父との冷戦もいつの間にか融解し、
二人でパチンコに行ったり、ビリヤードに行ったりと、仲良くなった。
父も嬉しそうだった。

そもそも父は遊ぶことが大好きな人で、
私が子供の頃、我が家は
「お父さんがディズニーランドに行きたいから」
ディズニーランドに行くという家だった。
今も「オレ、ディズニーシーに行きてぇ~」と宣っている。

だから、私が父に
「パチンコ連れてってー」
「映画見に行こー」
「DVD借りてきてー」
などと頼むと喜んでしてくれる。
(別に足に使ってるわけじゃないですよ。笑)


遊ぶことが大好きだけど、父は我が家で一番真面目な人間だ。
お酒は飲まないし(というか呑めない)、
女遊びは一切しない。
結婚してから母一筋。
今でも、母のことが大好きでしょうがないのが見てとれる。
(母はウザがっているが・・・・)
娘より母のほうが好きなようだ。
そんな両親は微笑ましく、ちょっぴり羨ましくもある。


私は東京から実家に帰るときは、
気が向いたときにチョコレートを買って帰る。
甘いモノが大好きな父の為に。

毎回、ブランドチョコを買って帰るのだが、
本人曰く「質より量だ」そうで、
同じ金出すんだったら、明治やロッテの板チョコを大量に買って欲しいそうだ。
私は張り合いがないからイヤなんだけど・・・。

さらに、新しい入れ歯になって、またタバコを辞めてから
「飯がうまい」らしく、
細かったのに、どんどんメタボに向かっている・・・
父のメタボに貢献してはいけないと思ってるんだけど
ついつい甘いものを買って里帰りしてしまう・・・。


毎日「デブ、メタボ」と批判し、父のお腹をポヨンポヨン押すと、
「お前こそでかいケツしてんなー」
とお尻を叩かれる。(セクハラだよ・・お父さん。)

ちょっと前までは
「オレよりicoのが太ってる!」
と言い張っていたが、今では負けを認めたようで、
「痩せるコツは?」
などと聞いてくる・・・・。苦笑



また我が家では、父は「汚物」扱いで、
洗濯物を一緒に洗うなんて以ての外。
母も、父のモノだけ漂白剤を入れて2度洗いをしている・・・

父が入った後のお風呂は入らない。

先日は、私の櫛を父が使ったと大騒ぎし、
母は「あとでキッチンハイターで消毒してあげるから」と言い、
私は「もう要らない。寄付する」と激怒するなんてやりとりもあった。
こんなことはしょっちゅうだ。

一見可哀想に見えるかもしれないが、父自身もそれを楽しんで笑っている。


そんな感じで、
母も含めて我が家はなかなかファンキーな家族だと思う。



それでも、やはり家には色々と問題もある。
どこの家でもそうだと思うけど。


そして私が「鬱病」になったとき、父は受け入れてくれなかった・・・・


(次回は父に告白した話を書きます。)

テーマ:たいせつなひと。 - ジャンル:心と身体

【2007/09/08 04:06】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(8)
うつ日和。


「うつ病、パニック発作」から脱却。日々のことや旅のことなど徒然に・・・

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ico

Author: ico
age:33
大学時代はバックパッカー。卒業後海外留学。
日本へ帰国後、半年程の"留学ニート"を経て就職。
ところが働き始めて2ヶ月が経った頃、鬱病と診断されました・・・
パニック発作も起こしつつ、なんとか2ヶ月耐えて働くも、ついに休職。
そして追い出され退職。
周囲の協力の下、なんとか這い上がったはずなのに、気付けばオーバー30、フリーター。
歳は崖っぷち、人生は壁だらけの四面楚歌・・・
でもね、悲観はしてない。
没关系,慢慢儿走!


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