溢れたコップ  18
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




会社を休み始めてちょうど1ヶ月が過ぎた頃。
薬が無くなる為、病院に行かなければならず、東京に戻った。

そして、会社にも行かなきゃと思った。
提出した診断書には「1ヶ月程度の休養を要する」と書いてあったワケだし、
ここらで一度でも顔を出さないと、
永遠に行くことができなくなりそうだったから。
(ちなみに診断書は、自分の意志で提出しました。
 会社から提出するように言われたわけではありません。)



ある木曜日。
「会社に行かなきゃ」と思ったけど、
どうしても、どう頑張ってもダメだった。

「今日は木曜日。明日もあるから。大丈夫。」

そう自分に言い聞かせて、なんとか病院にだけは行くことにした。

病院では、
「眠れない」という私の訴えに対して、
レスリンが追加された。


診察が終わりビルを出ると、外は雨だった。
傘を差して、薬局に行き、某デパートにちょっとだけ寄って、
母親に頼まれた買い物をして。

なんだか濡れて帰るのもいいような気がして、
傘を差して、のんびり歩いて家に帰った。
木の葉のニオイが一段と際だっていた。


家に荷物を置いて、ブラっと兄の元へと出かけた。
そして珍しく、久々に兄と二人だけで呑んだ。
近所のバーに出かけ、かなり呑んだ。

うつになってからというもの、極力お酒は控えているので、
こんなに呑むのは久しぶりだった。
すごく楽しかった。


そして金曜日。
会社に行こうと、9時半に起きた。
(最初から定時に行く気はナシ)
幸いにも、二日酔いは無かった。



でも・・・・

動けない。
吐き気が収まらない。
行き先が「会社」だと、どうにもならない。

ボーっとしながら、涙だけが出てくる。
情けなさなのか、悔しさなのか、申し訳なさなのか、
もう涙の意味さえわからなかった。
でも、それでも「仕事はしたい」という気持ちがあるから変なもんだと思った。

そして体が痒くて痒くてどうしようもなかった。
皮膚描画症がひどく出ていた。


「お昼から行こう」
そう思ってたのに、テレビで「いいとも」が始まり・・・
そのまま昼ドラになり・・・

何もしないでただ刻一刻と時間が過ぎていった。


夕方近くまで考え倦ね、
「あぁ・・・・今日はもう無理だ」という結論に達し、
結局、電話をすることにした。
メールより、電話の方が気持ちが伝わる気がしたから。

電話をすることは、ものすごく勇気がいるし、辛い。本当に大変。
でもこれは、今の私にできる、せめてもの償いだと思った。


いつもの如く手に汗握り、口から心臓が飛び出しそうなほど緊張して、バクバクして、
しばらく電話とにらめっこをした後、発信ボタンを押した。
電話をすると、Oサマはいなくて、代わりにMさんと話をした。

 通院のため、東京にいること。
 今日は会社に行こうと思ってたけど、
 皮膚描画症と吐き気が収まらず、行けそうにないこと。
 今までの、そして今日のお詫び。

そんなことを話した。


Mさんは優しく、
 
 「Oには電話があったこと伝えておくから。
  お前、考えすぎずにちゃんと休めよ。
  いいか、おいしいもの食って、ゆっくりするんだぞ。」

そんなことを言ってくれた。

ごめんなさい、申し訳ありませんと謝る私に、
 
 「そんなのどうでもいいんだ」

って言ってくれた。


 「それにな、お前、家にこもってばかりだと太っちゃうぞ。笑」

 「いやーーそうなんですよ。メタボ予備軍ですよ。笑」

 「そうだろそうだろ~。笑
  だからたまには会社に顔出せよ。
  今後はどうするつもりなんだ?実家にいるのか?東京にいるのか?」

 「実家に戻ります。
  でも実家から会社まで2時間位だから・・・
  大丈夫そうな時に行けたらと思ってます。」

 「2時間って。笑
  お前なー。普通は、1時間位なら、とかそういうもんだぞ。
  でもわかった。
  えいやって電車に乗っちゃえばいい話だもんな。
  途中で調子が悪くなったら、そのまま引き返せばいいんだし。」



そんな話をして電話を切って、
 「あぁ・・・電話してよかったな」
そう思った。
少しだけ、肩の荷が下りた気がした。


そして翌日には、いつもの荷物に加え、
スーツを1セット、カットソーとストッキングとパンプスを持って
また実家に戻った。
会社に行けそうな時、いつでも実家から出勤できるように。


Mさんのお陰か、
今までより、会社に行くことに対して
ほんの少しだけ、気持ちが前向きになった私がいた。


(続く)
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【2007/09/30 03:07】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(6)
溢れたコップ  17
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




毎日見る夢があまりに現実的で、起きても疲れが抜けない日々が続いていた。
もちろん一番は会社の夢。
「ico君がいないからこの仕事が出来なかった」
そう皆から白い目で見られたり、仕事でミスをする夢。
あとは、
伯母の家の夢、元カレの夢、友達の夢、自分自身の夢・・・などなど。

目が覚めて、夢だったのか現実だったのかわからなくて、
毎日、目覚めるたびに慌てふためいて、またうんざりしていた。



毎日毎日、両親は優しかった。
父はビデオを借りてきてくれたり、アイスを買ってきてくれたり。
母は、時々泣いて話す私をなだめ、ちゃんと話を聞いてくれた。

だから私は、せめてもの出来ることをと思い、
調子がいいときは、犬の散歩に出かけたり、
食器洗いや、お風呂を洗い、簡単な掃除などをしていた。


会社の1年先輩、Kちゃんが心配して電話をくれたり、
ケータイでメールしたり。
とても心配してくれて、嬉しかった。
会社の内情をわかってるからこそ話せることもあるし。
私がいないと、
Kちゃんは若い女の子一人で可哀想だな、申し訳ないなぁなんて思ってた。
(Kちゃんとは部署が違ったのだけど)


それなのに。
かと思えば、一日部屋に引きこもって、泣いてる日もあった。

波があって、どうしようもなかった。


溢れたコップは、やはり半月ではどうにもならなくて、
「簡単に治る」気がしていた私は、ショックを受けていた。




それでも「週に1回メール」メールはしなきゃならなくて、
どうしようと悩んでいるうちに、
Oサマからメールが来た。

 「体調はどうですか?
  ゆっくり休養できていますか?
  連絡がないので心配しています。
  来週でも様子を知らせてください。」


当然の話だ。
自分の部下が休職していて、「週に1回メール」すると約束したのに、
メールが来なければ心配になるのはごくごく当たり前。
それは私の働かない頭でもわかる。
でもメールをするのさえ辛いのだ・・・・
まさか、「メールするのも辛いんです」なんて言えるわけあるまい。


無視するわけになんていかない。
なんとか頭をひねってメールを書いた。

 「御連絡遅くなりまして申し訳ありません。
  お陰様で前回お会いした時より調子も良くなり元気になってきました。
  どうしても外に出られない日もありますが、
  犬の散歩に行ったり、母の買い物に付き合ったり、
  極力外に出るようにしています。

  今週は病院に行かなければならないので東京に戻ります。
  恐らく週後半になるかと思いますが、会社に行くつもりです。
  ただ、本当に申し訳ないのですが、
  朝の混んでる電車に乗る自信がありません。
  様子を見つつ、午後から出勤させて頂ければと思っています。

  ご迷惑をお掛けしてばかりで申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。」


元気になってる・・・のか?
そんなのわからない。
やっぱり、出勤できる自信もない。
でもこう書くしかないと思った。
だって、「仕事はしたい」と思い続けていたから。
自宅で、実家で仕事ができたらどんなにラクだろうと思った。
それに、自分のケツを叩いて会社に行かないと、
このまま永遠に行けなくなってしまいそうな気がしていたから。




それでも。
もう、全てどうでもよくなりつつあった。
会社に復帰する自信もなかった。

会社に行くのが辛い、電話するのも辛い、メールさえ辛い。
もう、「会社のことを考える」ことから開放されたかった。
私を取り巻く全てのマイナス思考になるものから逃げ出したかった。


(続く)

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【2007/09/26 04:30】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(6)
溢れたコップ  16
今日も一日、寝たり起きたり。
気持ちもわりと安定していて、ちょっとだけのんびり気分。
それでも彼(彼女?)↓のようにお昼寝できるのは、まだ先のような気がする・・・笑

       お昼寝
                   メキシコにて。 タバコの箱を枕にお昼寝中。


では本題へ。
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




実家に帰ってから1週間が過ぎようとしていた頃。

留学時代の友達が日本に完全帰国し、東京に来るとの連絡が入った。
彼女は頼りになるお姉さんといった感じ。
ものすごく大好きだし、お世話になった彼女にどうしても会いたかった。
仲間うちも集まるらしく、
久しぶりにみんなに会いたいと思って
一抹の不安を抱えながらもまた東京に戻った。
(ちなみに私以外はみんな30歳~の人達。)
病院に行く都合もあってちょうど良かったし。


なんとか電車も乗れ、一安心した。(安定剤飲んだけど)

でも約束の日は平日。
「会社、休職してます。」
と、みんなに打ち明ける気にはなれず、わざわざスーツを着て出かけた。


場所は新宿。
中央線と、新宿の人混みでパニック発作を起こしそうになりながら、
なんとか耐え忍んだ。



みんなに会ったら元気になれて、
めちゃくちゃ楽しい再開&飲み会になった。

 「icoちゃん、痩せた?なんかキレイになってるー」

なんて言われちゃって。笑
(痩せたのは事実・・・)


盛り上がりまくり、結局終電も逃してタクシーで帰宅。
気の置けない仲間となら、普通に会って、話せて、
呑めて、笑えるんだって、このとき実感した。
「ウツ」であることも誤魔化せちゃうんだって思った。
それがいいのかはわからないけれど・・・


そして翌日はめちゃくちゃな体調で病院へ行き、
また這うようにして実家に帰った。
(ゴミ箱のような伯母の家にいること自体が負担だったから。)
そして眠剤を飲んで泥のように眠った。



翌日は、「週に1度のメール」の約束のため、
一日中メールの文章を考えていた。
働かない頭をフル回転させて、無い知恵を搾り出してOサマにメールを書いた。

 「先週から実家で過ごしています。
  思い返してみれば、実家を出てからこれほど長く過ごすのは始めてです。
  居心地も良くのんびりしていますが、
  先日Oサマが仰っていた
  『人間は働く動物』というのを痛感しています。

  今週一度会社に顔を出そうと思っていたのですが、
  なかなか思うようにいきません。
  頭と心と身体が言うことを聞いてくれません。
  来週は出勤できたらと思っております。

  ご迷惑お掛けして申し訳ありません。
  また御連絡させていただきます。」


そんな内容。
”来週”出勤できる自信なんてミジンコ程もない。皆無だ。
でも仕事のことが頭から離れないのは事実だったし、
会社に行かなきゃと思い続けているのも事実だったから。


そしてOサマからは翌日返信が来た。

 「慌てなくていいですよ。
  ゆっくり休養して、充電してください。
  じっくり自分を見つめ治すことが大事です。
  そのうち気力が沸いてきて、動けるようになります。
  大事なことは毎日を楽しむこと。
  仕事も同じです。楽しんで楽しみまくること。
  そしたらすばらしい仕事ができます。
  楽しみにしてます。
  無理しないで、またメールください。」


メールの文面は優しくて一安心したけれど、
それでも本心は・・・良く思ってないんだろうな、と思ってる私がいた。

Oサマは、見た目も良く、スマートで、素敵なオジ様という感じの人。
私に対して、いつも笑顔で、気にかけてくださって、優しかった。
でも、私が勝手に思うに、
「この人は一生うつ病とは無縁だろうな・・・」というタイプ。
だから恐らく私の心境なんてわからないだろうなって、諦めていた。
(失礼な話ですが。苦笑)



これで1週間はメールせずに済むと思えば一安心なのだが、
超マイナス思考の私は
 「また1週間したらメールしなきゃ・・・今度はどうしよう」
そう考えていた。

「週に1度はメールする」という重圧に押しつぶされそうだった・・・


(続く)

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【2007/09/23 02:13】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(6)
溢れたコップ  15
ここ数日、私の片付け日記?愚痴日記?にお付き合い頂きました皆様、
本当にどうもありがとうございました。
お陰様でなんとか乗り切ることが出来ました。

伯母も無事帰ってきたので、今後はいつものブログに戻ると思います。


ちなみに今日は、ロヒを飲んだのにも関わらず
猫の病院の時間に目が覚めました・・・
そして苦労して二度寝。
昼前に起きて、薬を飲んで、猫にも薬を飲ませて
猫トイレを片付けて、
廊下を拭き掃除して、
エアコン掃除して、
猫のモノを買い出しに行って・・・・
と結局あーだこーだ言いつつ動いてました。苦笑

伯母からは、ちゃんと家政婦代を頂きました☆
(でも日給計算すると割に合わない・・・)
そして
 「ico、疲れてない?目の回りクマできてる。」
と宣ったため
どれだけ朝起きるのがつらいか、
起立性低血圧がひどいか訴えておきました。
今の”半分”モノを捨てるという約束もさせました。
(約束守ってくれるのかはわかりませんが・・・)

今のところ気分は少しの達成感と、安堵。
そして、一抹の不安。
すこーーし、嫌な予感・・・



ということで、久々に連載再開です。

(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




翌日からは、のんびり気ままに過ごした。

ついつい遅く寝てしまい、お昼頃起きたり。
猫と昼寝したり。
DSに熱中してみたり。

調子が良いときは、母の買い物に付き合ったり、
犬の散歩に出かけたり、
そんな毎日だった。


でも。
日内変動が激しく、夜中になると、
頭の中は、猛嵐。猛吹雪。


どうしよう。
どうしたらいい?
散歩してる位なら会社行けるじゃない。
「来られる時だけ来ればいい」って言ってくれたじゃない。
会社に行かなきゃ。
どうして会社に行けなくなってしまったのだろう。
今となっては、余計に会社に行きづらい。
会社の先輩方に負担を掛けてしまって申し訳ない。
仕事に穴を空けて申し訳ない。
やりかけの仕事も放ってきてしまったし。
みんなは私のことをどう思ってるんだろう。
ただサボってるだけだと思ってるんだろうな。
私はなんて根性が無いんだろう。
辛抱ができないんだろう。
我慢が出来ないんだろう。
いい年して甘えすぎだ。
どこから道を踏み外してしまったのだろう。
私は最低。
私は社会不適合者。
私は不良品。


毎日、寝ても覚めても、頭の中はこんな感じ。

そして毎晩、昼寝の度、悪夢にうなされ汗をかいて目が覚めた。
大抵、会社の夢だった。
あとは、自分が必死に走ってる夢や、
泳いでも泳いでも岸にだとりつかない夢など。
本当に怖かった。




結局のところ、私は、
休職しても”会社”や”仕事”から解放されなかった。
というよりむしろ、執着していた。
離れられなくて、気になって気になって、仕方がなかった。

テレビや新聞、雑誌、ネット、それらの情報媒体から
私の仕事に関する情報を目にする度に
悲しくて、辛くて、悔しくて、涙が出た。


 「本当なら、私、この仕事してたんだよな。」

そう思って、自分自身がイヤでたまらなかった。
もうどうしようもなく、悔しくて、落ち着かなくて、ただ辛かった。
(ちなみに、退職して2ヶ月以上たった今でも・・・)

「休職なんて、しなければよかったのかな。
 無理してでも、這ってでも、吐いてでも、泣きながらでも
 ちゃんと会社に行ってればよかったのかな。
 そうしていれば
 『行きづらい』という感情が芽生えることも
 悔しいという思いをすることもなかったのにな。」
そう思いさえした。


 「休むっていうのも、なかなか大変なんですよね」

ドクターに言われたその言葉が重たかった。
身をもってその言葉を実感した。

休みたくても、頭の中を空っぽにしたくても、
どうしてもできないのだ。



いつもいつも、会社のコトばかり考えて、申し訳ないと思って。
また、Oサマと約束した「週に1回メール」という重圧があって、
「メールしなきゃ」と脅迫観念に取り憑かれて。
私は甘えてるのかなって繰り返し考えて。
とにかく辛かった。
涙ばかり出てきて、どうしようもなかった。



頭はパンクしそうだった。
身体も言うことを聞いてくれなくて、
寝てばっかりだったり、引きこもりだったり、
明らかに顔色も悪く、具合が悪かったり・・・
「消えてしまいたい願望」もひどかった。
それでも理解のある両親と共に実家で静養していたことが、
「消えてしまう」ことを踏みとどまらせていたのだろうと今になって思う。

(続く)

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【2007/09/20 01:34】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(4)
溢れたコップ  14
一体いつまでこの話を書いているんだろう・・・と最近思う。
でも、早く書いてしまわないと、
色々なことが脳ミソの記憶中枢から抜け出ていくようで、
だから早く書き終えなきゃとも思う。

こんな話は読んでいる方々にとって、面白くもなんともないだろうとも思う。
でも、一種の自己満足と、備忘録だと思って諦めて頂けたら有り難いです。

また一方で、
「鬱かもしれない」と思っている方
「会社・・・休職しようかな」と思っている方
「会社を退職しようか」と思っている方々が
たまたま検索や何やらでこのブログを見て下さって、
私のような道?方法?もあるんだな、と何かのヒントにして頂けたら嬉しい限りです。


ということで、まだまだ続きます。

(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




水曜日。

もう、朝起きてから会社に
「休ませて下さい」
の電話をしなくてもいいんだと思うとホッとした。
涙が出るくらい気持ちがラクになった。

電話するなんて大したことじゃないのに、
端から見たらバカみたいだろうけど、
私にとってはものすごく大変なことだったんだと改めて実感した。


目覚めてからしばらくダラダラして、洗濯して、
実家に帰るための荷造りをする。


「迎えに行こうか?」
電車でパニック発作を起こした私に、母はそう言ってくれたけど
大丈夫だと思ったから断った。
今日乗る電車は「会社行き」じゃなく「実家行き」。
私にとっては「地獄行き」と「天国行き」の差みたいなもの
だから大丈夫だろうと。

おまけに全席指定だし、圧迫感もない。
万一気持ちが悪くなったって、トイレもある。
だから、何とでもなる。


兄のトコロに寄ると、Fさんがいて(私のゴルフの師匠です)
「ここんとこ、大分顔色良くなったなー」
と言われた。
魔の1週間が過ぎ去って、休職が決まって、
それだけでも他人から見て、顔色が良くなったみたいだった。


ソラナックスを飲み、
何とか地下鉄に耐え、乗り換えた。



私は「天国行き」の電車を待っていた。

ところが。

落ち着かない。
「待つ」ことが辛い。

じっとしているのが辛い。
冷たいお茶を飲んでベンチに座ってるのも辛い。

やっと電車がくるとホッとして、自分の座席に座るも、
やっぱり辛い。
ただ座って、じっとしているのが辛いのだ。
そんな自分に驚いた。
まるで多動障害みたいじゃないか。

うまく表現できないのが歯痒いのだけど、
「どうしよう」
「どうしたらいい?」
「お願いだから早く電車来てーーー」
「お願いだから早く実家に着いてーーー」
とソワソワしてしまうというか、
とにかく普通のこと、今まで何ともなかったコトが辛いのだ。



ipodで誤魔化しつつ電車をやり過ごし、
やっと地元の駅について、改札を抜け、車を探した。
母の顔を見たときはホッとして、涙がこぼれた。

余計な心配かけちゃいけないと思って、
涙を拭いて、
車のドアを開けると
母は「おかえり」って。
私は「ただいま」と言い、
そして、それだけのことで、安心した。

またウルウルした。


家に帰って母の作ったご飯を食べて、
自分の部屋で一服すると、「帰ってきた」という実感が湧いて、
ココロが少し暖かくなった。
やっぱり実家に帰って良かったと思った。

実家は私のサンクチュアリ。




それでも。
「大丈夫な時は会社に出る」
「週に1度はメール」
という重圧から逃れられなかった。

その晩は、
Oサマに「取り急ぎのお礼のメール」をしなきゃと焦った。
PCを起動し、メールソフトを開いても、
文章が出てこない。
出てくるのは冷や汗と、鼓動の音だけ。

お願いです、もう1日だけ待って下さい


声に出すともなくそう願い、メールは諦めた。


結局翌日の晩、悩んだ末に無難なメールを送った。

 先日はお忙しい中、わざわざありがとうございました。
 ご馳走様でした。
 会社の皆様が温かく見守って下さって感謝しています。
 ご迷惑お掛けして申し訳ありません。
 今後ともよろしくお願い致します。

こんな感じの当たり障りのない文章。
正直、他に書きようがなかった。
頭に浮かんでこなかったのだ。


翌日、早速Oサマから返信が来ていた。

 元気な姿を見て安心しましたが、ゆっくり自宅で静養してください。
 あまり考え込まないで、
 体調が良かったら外に出て、気分転換してください。
 会社や部長達には説明しておいたので、安心してください。
 また、メール待っています。


私は、頑張って元気にしていたんだけど。
やっぱり、他人からみたら「普通に元気」なんだろうな・・・と実感した。


でもこれで、とりあえずはゆっくり出来ると思うと安心した。

(続く)

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【2007/09/14 03:45】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(6)
皮膚描画症(皮膚描記症・皮膚紋画症)。
ここ数日、皮膚描画症がひどい。

昨晩なんか、背中とお尻が痒くて痒くて、
パンツを半分ずり下げて、掻きむしりながら寝た。
(下品ですいません。)
今も二の腕を掻き掻きコレを書いている。


先日の通院日記
で書いたように、以前から
アレルギーの薬を飲めば、半分くらいは収まる
と言われているのだけれど、
なんだかこれ以上薬を増やすのも・・・という躊躇いと
アレルギーの薬って飲むと眠くなるし、
飲んでも半分という思いがあって、
今のところ薬は保留中。



元来私は肌が弱くて、スキンケアも無添加のモノしか使えない。
夏になると汗でかぶれる。
ネックレスや、洋服の縫い目でかぶれることもある。
また、少しアレルギー体質だというのもあり、
冬にいきなり冷たい風に当たると寒冷蕁麻疹がでたりもする。
さらに、何年かに一度、酷く蕁麻疹が出る。

だからドクターに言われた機能選択性?で、
私の場合、皮膚に症状が出やすいというのも当然なのかな・・・と。


話が脱線するけど、
蕁麻疹・・・体験したことありますか??
地図のように体中に広がり、痒くて発狂しそうになって、
でも掻けば掻いた場所にどんどん広がっていって・・・・

思い返せば受験生、高校3年の冬、
ある晩いきなり瞼と耳が痒くなり、鏡をみてビックリ。
母を叩き起こして見せると、
「あ、蕁麻疹だ。痒いけど、掻かない方がいいよ」
と言われ、掻くなって言われても痒くて、
我慢してもみるみるうちに広がっていって・・・
2、3日学校休んで、点滴に通った。

その後、受験で北海道に一人で行ったときも
(北大が第一志望だったんです・・・落ちたけど。笑)
蕁麻疹が出た。

大学生の時も何度かあって、
その時は飲み薬だけで治した。



とまぁこんな過去があるので、
一番最初、今から2年前にこの皮膚描画症が出たときは、
軽い蕁麻疹だと自己判断を下した

蕁麻疹が出てる時は、
 身体が暖まる(つまりお風呂や寝るとき)
 甘いモノを食べる
 サバを食べる(ヒスタミンの多いモノ) 
 アルコールを飲む
 刺激物を食べる
 動物性タンパク質を食べる
と一層ひどくなるため、食事にも気を遣って、
大好きなチョコレートも、ビールもチーズも控えてた。

それでも収まる気配はなく、
出ない日もあり、ひどく痒い日もあり・・・という日々が続いた。


日本に帰ってきてからもそれが続いていて、
「おかしいなーーーー???」と思い続けていた。

一回目に内科に行ったとき(→この時です
自分で色々と調べて、
 「あー、もしかしたら、私、自律神経失調症なのかも。
  これは蕁麻疹じゃなくて、皮膚描画症なのかも。」
と、そこで始めて気がついた。

そして、始めて精神科に行ったときに、
 「皮膚描画症って言うんです。」
ドクターにそう言われて決定打。



皮膚描画症(皮膚紋画症とも言うらしい)は、
自律神経失調症の症状の一つで、
なんとなーく、なんの前触れもなく皮膚が痒くなったり、
下着の跡など圧迫されたところが痒くなったりして、
掻くとその掻いた跡がそのままミミズ腫れになるという症状。
そんでもって、ホントーーーに痒い。
「痒い」って結構辛い。
ちなみに、鬱が治ってくれば自然と皮膚描画症も治るらしい。


これだけ痒いと、諦めて薬を飲むべきなのか・・・。
あまりに眠くなったり、効果が無いようだったら
止めればいいだけの話だし、
次回はアレルギーの薬も処方してもらおうかと思ってる今日この頃なのだ。
【2007/09/10 03:29】 | うつ病の話 | トラックバック(0) | コメント(6)
おとんの話。 -娘が鬱になった時-
前回の話はコチラをお読み下さい。


父と仲良くなり、普通に話し、お腹を叩き合う仲になった今でも、
私は、大事な話は母にのみ話す。
どうしても父に話す気にはなれない。話せない。
そして、父も私には直接聞かない。

今回に限らず、どんな時でもそう。
父は母に「icoはどうしてるんだ。大丈夫なのか。」
と聞くそうだ。



鬱病だと診断され、2ヶ月が経ち、休職する時もそうだった。
電話で泣きながら母に伝えたのみで、
父には、私の口からは何も言わなかった。

結局、例の如く母が父に伝えると、

 「オレにはそういう病気は理解できない
  オレは今まで、爺さんや婆さんを看取って、お袋を食わせ、
  この家を維持するために必死に働いてきた。
  だからそういうのは解らない。」

と言ったそうだ。


頭にきた母が

 「じゃあ、アナタはicoが鬱じゃなくて癌だったらよかったわけ?

 「胃癌の人に飯食えって言ったって無理な話でしょう。
  心臓に穴が空いてる人に、走れって言ったって無理でしょう。
  それと同じように鬱の人に働けって言っても無理なのよ。」
  
 「アナタは自分の予想外の事が起きたから気にいらないんでしょ。
  自分の子供が病気なんだから、
  守ってあげるのが親の務めでしょう。」

そう言うと、父は黙ってしまって、

 「う~ん・・・そうだよなぁ・・・・・」

と言ったそうだ。
(既にお気づきかも知れませんが、我が家は完全に”かかあ天下”です。笑)


そして
 「鬱ってどんな病気なんだ?」
と聞く父に対して、母は
 「自分でネットで調べてみれば。
  去年、アナタが『大腸癌かもしれない』って大騒ぎした時は、
  散々自分で調べてたじゃない」
と一蹴したとか。
(一人で大騒ぎして、結局何でもなかったんですけどね。苦笑)


その後は
 「icoは大丈夫なのか?」
 「いつ(実家に)帰ってくるんだ?」
と母に毎日聞いていたらしい。

 

現在、鬱病はそんなに珍しい病気ではないし、
父の友達にもウツの人はいる。
でもまさか、
自分の娘が鬱になるとは思ってもいなくて、複雑だったようだ。
なんで???なんでicoが????そう思ったらしい。
また、ある意味、私は父にとって自慢の娘だったらしく、
その私が会社を休職することになって、とてもショックだったらしい。
残念、疑問、衝撃、そんなのが入り交じった感情だったのだと思う。
認めたくなかったのだと思う。
私は、父の反応は当然のことだと思っている。


だからそんなのもあってか、
実家で静養し始めて最初の頃は父に気を遣ってた。
あまり顔を合わせない様にしていたし、
鬱の辛さも口に出さないようにしていた。
「お前、早く寝ろよ」
という父の何気ないひと言が辛くて、陰で涙したこともあった。
心配してそう言ってくれていたのかもしれないが、
当時の私には、マイナスの方向にしか考えられなかった。

ちなみに今では、「私が実家にいる」ことが当たり前になり、
私が「東京に行く」と言うと、
「なんで?」「いつ帰ってくるんだ?」と言われるという状態。
私がいることを当てにして、
自分は一人で遊びに行っちゃったり。笑

恐らく、”慣れ”だと思う。

私が毎日家でグータラしていることに慣れたのだろう。
また、諦めがついたのだろう。



私は、父は理解がない人だとは思ってない。
私より真面目な人だし、
暖かい人だってわかってる。
真っ当な人間だって十分にわかってる。
日本に帰国する時に言ってくれた(間接的にだけど)台詞は
父の大きさを私に教えてくれた。
私はその台詞を一生忘れない。
父の生き様も、カッコイイと思っている。


でも、それでも父に直接何か言うことは、
言いづらく、歯痒く・・・どうしてもダメなのだ。
お互い様だけど。笑



会社を辞めることになったとき、
こればかりはどうしても、自分の口から父に言わなきゃと思い、
機嫌の良いときを見計らって、
意を決して

 「おとーん・・・、あのさ・・・・
  会社、辞めることにしたから。
  今のままでいても、お互いに良くないし・・・・」

と緊張して言うと、

 「まぁ、しょうがないだろうな。」

のひと言で終わった。


あれだけ緊張して、考えて、時期を見計らって言ったのに、
「ひと言かよっ!!」とツッコミを入れそうになった・・・・

「どうだった?」
と聞く母に伝え、二人で爆笑した。



最初は、鬱を受け入れてくれなかった父だけど、
今は一応受け入れてくれている(?)ようで、
自分は忙しく働いているのに
私が寝てばかりいても、
タダ飯食っていても、
ダラダラして遊んでいても、何も言わない。
むしろ毎日実家にいるようになったことで、さらに仲良くなった気がする。




私は、うちの母の様な人の方が珍しく、
父の反応の方がフツーに近いのでは、と思っている。
親だって一人の人間だ。
そして人間だからこそ完璧ではない
完璧ではないから、拒否反応だって起こすし、
なんでうちの娘が?と認めたくない気持ちもあるだろう。
受け入れることもできないかもしれない。

血は繋がっているとは言え、
生まれてから(私にしてみれば)18年間一緒に暮らし育ててきてくれたとはいえ、
子供は親の所有物ではないし、
そして親と子は、考え方も、性格も違う他人なのだ。
生きてきた時代、生きている時代だって違う。


鬱を受け入れられるかというのは、
その人のキャパシティや感受性、経験の問題なのかな、と最近思う。

例えばうちの母は、若かりし頃、
今だったら鬱と言われてしまうだろう状況になったことがあるらしい。
また数年前、更年期障害で、どうしようもない不安に駆られたとか。
パニック発作の様なものも起こした。
また子供に対する愛情が人一倍深い人だから、
辛さも、苦しさも、理解してくれ、私を受け入れてくれた。

一方父は、母曰く「全くモノを考えない人」「諦めのいい人」で、
恐らく鬱とは無縁の性格をしている。
だから「理解できない」のだと思う。
それでも”慣れ”と”諦め”もあり、
今ではこうして私を認めてくれている。

父には直接病気の話はしないけど、でも今は親子で仲良く暮らしてる。
私は親に恵まれたとつくづく思っている。


でもその一方で、
だからこそ状況に甘えてるのかな・・・と時々思ったりもするのだが。

(おしまい)

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【2007/09/09 03:19】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(6)
おとんの話。
昨晩は台風のお陰で風雨の音がすごく、
プチODをして寝た。
(と言ってもハルシオンとアモバンを倍量飲んだだけだけど。)

今日は10時に起きたが、
どうやらロヒプノールがまだ残ってたようで、
お茶を飲んで二度寝したら13時。

その後庭の草むしりをして、
庭のプルーンの木になった大量のプルーンを煮てジャムを作った。
なんだか・・・・ロハスな生活?




さて。
ありがちな話だが、
中学生頃から、大学入学と共に実家を出るまで、
私は父がウザイというか、とにかくイヤだった。
母に対しての反抗期は一切無かったが、
父には反抗しまくりで、
ほとんど話もしなかったし、冷戦状態だった。

ただ、キライかと問われればそうでもなく、
うまく説明できないのが歯痒いのだが、
メンドイというか、恥ずかしいというか、ウザイというか。
話したくない、近寄りたくない、関わり合いたくない、といった感じ。



そもそも父は、とても不憫なことに
親子の愛情や、家族愛というものを知らずに育ってきた人間だ。
よくもグレずに真面目に育ったと、我が親ながら思う。笑

だから、自分の娘である私と、
どう接して良いのかわからなかったのだろうと思う。
家族をどう作っていったら良いのか、わからなかったのだと思う。
今でもそうなんだと思う。



親元を離れて生活するようになって、
父との冷戦もいつの間にか融解し、
二人でパチンコに行ったり、ビリヤードに行ったりと、仲良くなった。
父も嬉しそうだった。

そもそも父は遊ぶことが大好きな人で、
私が子供の頃、我が家は
「お父さんがディズニーランドに行きたいから」
ディズニーランドに行くという家だった。
今も「オレ、ディズニーシーに行きてぇ~」と宣っている。

だから、私が父に
「パチンコ連れてってー」
「映画見に行こー」
「DVD借りてきてー」
などと頼むと喜んでしてくれる。
(別に足に使ってるわけじゃないですよ。笑)


遊ぶことが大好きだけど、父は我が家で一番真面目な人間だ。
お酒は飲まないし(というか呑めない)、
女遊びは一切しない。
結婚してから母一筋。
今でも、母のことが大好きでしょうがないのが見てとれる。
(母はウザがっているが・・・・)
娘より母のほうが好きなようだ。
そんな両親は微笑ましく、ちょっぴり羨ましくもある。


私は東京から実家に帰るときは、
気が向いたときにチョコレートを買って帰る。
甘いモノが大好きな父の為に。

毎回、ブランドチョコを買って帰るのだが、
本人曰く「質より量だ」そうで、
同じ金出すんだったら、明治やロッテの板チョコを大量に買って欲しいそうだ。
私は張り合いがないからイヤなんだけど・・・。

さらに、新しい入れ歯になって、またタバコを辞めてから
「飯がうまい」らしく、
細かったのに、どんどんメタボに向かっている・・・
父のメタボに貢献してはいけないと思ってるんだけど
ついつい甘いものを買って里帰りしてしまう・・・。


毎日「デブ、メタボ」と批判し、父のお腹をポヨンポヨン押すと、
「お前こそでかいケツしてんなー」
とお尻を叩かれる。(セクハラだよ・・お父さん。)

ちょっと前までは
「オレよりicoのが太ってる!」
と言い張っていたが、今では負けを認めたようで、
「痩せるコツは?」
などと聞いてくる・・・・。苦笑



また我が家では、父は「汚物」扱いで、
洗濯物を一緒に洗うなんて以ての外。
母も、父のモノだけ漂白剤を入れて2度洗いをしている・・・

父が入った後のお風呂は入らない。

先日は、私の櫛を父が使ったと大騒ぎし、
母は「あとでキッチンハイターで消毒してあげるから」と言い、
私は「もう要らない。寄付する」と激怒するなんてやりとりもあった。
こんなことはしょっちゅうだ。

一見可哀想に見えるかもしれないが、父自身もそれを楽しんで笑っている。


そんな感じで、
母も含めて我が家はなかなかファンキーな家族だと思う。



それでも、やはり家には色々と問題もある。
どこの家でもそうだと思うけど。


そして私が「鬱病」になったとき、父は受け入れてくれなかった・・・・


(次回は父に告白した話を書きます。)

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【2007/09/08 04:06】 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(8)
溢れたコップ  13
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




運命の火曜日。

「会社に行く時間に起きなくてもいいんだ」
そう思っても、やっぱり目が覚め、
そして
「電話した方が良いのかな・・・」
と一頻り悩む。

もう電話かけなくていいんだよって自分に言い聞かせて、
何だか申し訳ない気持ちと共に二度寝を決め込んだ。


お昼に起きて、ボーーっとする。
テレビを見ても、面白くもなんともない。
というより全然頭に入らなくて、
スルスルと情報が頭の中を通過していく感じ

そして、
世の中は動いているのに、止まってる自分が情けなくなり、
世間の皆様に申し訳なくなった。



ソラナックスを一錠飲んで、
亀のようにゆっくり準備を始めた。

「行きたくない」と思いながらシャワーを浴び、
「どうしよう」と思いながらメイクをして、
「行かなきゃ」と思いながら着替えをして。

Oサマにしてみれば、自分の目で見もせず、
自分で直接話もせず、
いきなり休職させるわけにもいかないだろう。
当然だ。
だから、私は絶対にいかなきゃならないんだ。


心配だから早めに出ようと思っていたのに、
ノロノロしていたら結局時間に余裕は無くなっていた。



タクシーに乗ろうかとも思ったけど、
時間も時間だし、混んでる電車と逆方向だったため、
意を決して地下鉄に乗ることにした。

地下鉄は空いていて、幸いにも座ることが出来たため
なんとかipodで誤魔化しつつ2駅を耐えることが出来た。



またもゲロ吐きそうなほど緊張して、
頭クラクラしながら、改札の前でOサマを待った。

改札は、当たり前だけど帰宅するサラリーマンの姿で溢れていた。
イヤになるほど彼らの姿が目に留まる。

世の中沢山の人が会社に行ってるのに。
みんなそれなりに大変な思いや、辛い思いをしてるのに。
それなのに、なんで私は会社に行けないんだろう。
仕事はしたいのに。
なんで電車に乗るのがこんなにも辛いんだろう。
なんで私は・・・・
ナンデダロウ?
私は・・・・社会不適合者なのだろうか。
私は・・・・不良品???


そんな思いが頭を駆けめぐった。



程なくOサマが現れ、
 「おぉーー大丈夫か?顔色悪いぞー?」

 「ご迷惑お掛けしてすみません。
  電車乗ってきたのでちょっと・・・・」


そして二人で駅近くの居酒屋へと入った。
食欲がないという私に気を遣ってくださって、
軽いものを何品か注文し、ビールで乾杯した。

 「いやーー驚いたよー。
  出張から帰ってきたらいきなり話聞いてさー」

 「ほんとにすみません。」

 「いやいや、いいんだ。
  それでどうなんだ?体調の方は?」

金曜日にMさんに話したのと同じ様なコトを話した。
そして
「花粉症の例え話のように、コップが溢れてしまったのだと思う」
と伝え、この一週間のお詫びをし、お礼を言った。


先日書いたこの記事にも関係してくるのだけど、
私は、どれだけ鬱が酷い状態でも他人にはそれを見せたくなくて、
なんとか笑顔を作って、
なんとか面白い話をして・・・と頑張ってしまう。

この時も勿論そう。

だから病気の話が終わった後は、
会社の話や、海外の話、家族の話などなどで盛り上がり、
楽しく時間をすごした。



そして。
 「とりあえず1ヶ月、ゆっくり休みなさい。」

 「はい。ありがとうございます。」



 「僕は、会社に来られそうなときは出てきた方が良いと思うんだよなー」

えっっ・・・・・・


 「それから、1週間に1回は、僕に電話で連絡してくれ。」


・・・・・・・・・えええぇっっっ!?


・・・・・・・・・orz (涙)


電話するのがどれだけ辛いのか、力説してもしょうがない。
どうしよう・・・・・

とっさに
 「名刺1枚頂けますか?メールします!」

と言うと、
 「あ。そうだな。じゃあメールくれ。」


ということで、なんとか電話は回避できた。


別れ際、
 「ico君にはみんな期待してるんだし、頑張って戻ってこい。
  あ、こういうこと言っちゃいけないのか。笑」

と仰ってくれた。
確かに「頑張れ」という言葉は言われて辛い時が多い。
でもこの時のこの「頑張れ」は、全然辛くなかった。
むしろ、有り難かった。

改札で、「余計なコト考えずにしっかり休めよ」
と言われ、握手して別れた。



そして、私はまた、なんとか2駅堪え忍んで家に帰った。


家に帰ったら帰ったで、いつもの如く
「余計なこと言いすぎた・・・・」
と自己嫌悪に陥って、会話を振り返って反省してみたり、凹んでみたり。
また、
「一週間に一回は連絡する」
という重圧がのしかかり、押しつぶされそうになった。



でもこれで、晴れて休職が決まった。
やっと実家に帰れる。
そう思うと、ほんの少しだけラクになった気がした。

(続く)

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【2007/09/07 03:33】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(4)
溢れたコップ  12
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




土日は、「ちゃんと会社の人に伝えられた」という安堵もあり、
落ち着いて過ごすことが出来た。
伯母と一緒に映画を見に行ったりもした。
(今まで書いたことはなかったですが、
 東京では、伯母と二人暮らしをしています。
 この伯母と・・・ってのもちょっとクセモノなのですが・・・苦笑)


そして月曜日。
会社に行くための時間に目が覚める。

「電話・・・しなくていいんだよね?
 それとも電話した方がいいのかな?」

端からみたらくだらないかもしれないけれど、
こういうこと一つに悩み、苦しむ。
始業時間前からその後まで1時間位、
携帯を片手に、ただ固まってるような感じ。

結局電話しなくてもいいという結論に達して、二度寝をした。


お昼頃、携帯が鳴ってビクっとして目が覚めた。
電話には出なかった。
というか、出られなかった。


鬱になってから、
いや、
毎朝会社に「休ませてください」の電話をするようになってから、
”音”に恐怖を感じるようになってしまった

一番イヤなのが電話の着信音。
次が電子音。

予期せず音が鳴ると、
過剰に驚き、動悸が止まらなくなり、汗が出てくるのだ。


携帯を見ると、見知らぬ携帯の番号で、
留守電を聞くとOサマから「電話ください」という伝言が入っていた。



一服して、深呼吸して、自分を落ち着かせてから電話を掛ける。

 「どうもicoですが、先ほどお電話頂いたのに出られずにすみません」

 「元気か?調子はどうだ?声は元気そうだなー」

 「あ、はぃ・・・お陰様で・・・・」
 (↑何がお陰様なんだよ・・・)


Oサマから、一度会いたいと言われた。
一杯飲みながら話をしようと。
会社に来るのは辛いだろうし、
電車に乗れないのだから、Oサマがうちの近くまで来てくださると。

忙しい人に、あまり迷惑は掛けられないと思い、

 「Oさんの都合に合わせます」

と言うと、某駅の改札で翌日に待ち合わせることになった。



正直、行きたくない。
ものすごく気が重い。
考えただけで吐き気がする。
本当に待ち合わせの時間に行けるのか、不安だった。

そして私のためにご足労を掛けて申し訳ないと、申し訳ない病が発生する。


でも、行かないわけにはいかない・・・・・。
タクシーに乗ってでも、
這ってでも行かなければ・・・・
うぅぅぅぅ・・・・・涙



どうしようどうしようどうしよう。
でも休職するためだ。
会って、正直に話せばいいだけだ。
大丈夫大丈夫。

と自分に言い聞かせて、なんとか気持ちを持ち上げた。



そして今度は、
何を着ていくべきなのか悩んだ。
スーツを着た方がいいのか。
私服でいいのか。

ほんとーにくだらないと思われるかもしれないけれど、
こういうこと一つ一つ考えてしまうし、悩んでしまう。


結局私服で、でもオフィスでも通用するような
キレイめな服を選んだ。


「あぁ・・・・やだなぁ・・・・
 行きたくないなぁ・・・・」

と、ただそれだけ考えて、その日は眠りに付いた。

(続く)






さて、話は変わるのですが。

えーと、皆様のお陰で、なんと

ランキング



1位になってしまいました。
嬉しさと、驚きと、緊張と、
こんなブログが1位でいいのか?という疑問でドキドキしてます。
(小心者なので・・・)

今後ともよろしくお願い致します。

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【2007/09/06 02:17】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(8)
溢れたコップ  11
今日は結局一日寝てた。
お陰でまた少し回復。

「猫になりたい」
よくそう思っていたけど、
今日の私は猫と同じ。笑
猫と一緒に仲良く昼寝に夕寝に・・・・
これから薬飲んで寝るけど・・・寝られるのかな。



(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




エレベーターが4階に着いて、ドアが開く。

目の前に誰もいなくてホッとした。
誰かいたら、どうしたらいいのかわからなくて、
ただパニックになってしまっていただろうから。


最高潮の緊張と、吐き気と、辛いという感情と共に、ドアを開けた。
その瞬間、水曜日に電話をくれた先輩「Nさん」と目が合った。


 「遅くなって申し訳ありません。」

と上司のSさんのトコロに行って言うと、

 「お。おぉ。大丈夫なのか?」


そして上司のMさんが

 「お前ーー、無理して来なくていいって言っただろー。」

と言い、「向こうで話そう」と、
隅にある談話スペースへ連れて行ってくれた。
会社のみんなの前で、視線に晒されるのは耐えられないことだったから、
話を聞かれてしまうのは辛かったから、
そう言ってくれて、少し安堵した。


 「お前、大丈夫なのか?」

 「あ、はぃ・・・今、現時点は大丈夫ですが・・・
  ご迷惑お掛けして、申し訳ありません。」

 「いや、そんなのはいいんだ。
  前からそうだったのか?
  電車で具合悪くなったりっていうのは。」

 「いえ・・・ここ2ヶ月位、何度かありましたが・・・」

 「そうだろー。
  昔はなぁ、俺らの頃は、会社終わって、同期の奴らと呑みに行って、
  上司の悪口言ったりしながら、パーっと呑んで終わりだったけどな。
  それでも5月病なんて昔からある話だし。
  働き始めて、環境が変わって、
  同期もいないに等しいし、おまけにうちは女の子いないしな。
  話す相手もいなくて辛かったと思うよ。」


5日もサボって、仕事に穴を空けた私に対して、
こんなに優しい言葉を掛けてくれるとは思っていなかった。
うまく表現できないが、
嬉しいというか、安心したというか、暖かくなったというか。
ちゃんと言わなきゃ、正直に言わなきゃ、と思った。

診断書を取り出して、

 「えっと、あの・・・・」

私が順番メチャクチャに、ポツリポツリと話し始めると、
Mさんは、ちゃんと聞いてくれた。


 しばらく前に「自律神経失調症」と内科で言われたこと。
 微熱と吐き気、眩暈、怠さが月曜から続いていること。
 火曜に駅で休ませて貰った後、大学病院に行ったこと。
 検査をしたものの、「何も問題ない」と言われたこと。
 精神科に行ったこと。
 「鬱病」だと言われたこと。
 電車に乗れないのは「パニック発作」だということ。

 今、冷静に考えてみれば、ウツの発端は留学時代にあっただろうこと。
 でもその当時はパニック発作を起こしたことも無かったし、
 今みたいな症状は出ていなかったこと。


そんなことを話した。
Mさんはただ黙って、頷いて聞いてくれた。
それだけで十分有り難かった。

すると。


 「そっか・・・・
  一つだけ言っておきたいことがある。」

 「はい。」

 「『辞める』とか絶対に言うなよ」


必死に堪えていた涙が、一気に溢れだした。
人前では絶対に泣かないって決めてたのに。
どうしても堪えきれなかった。
一度溢れた涙はもう止まらなくて、
その後私はずっと涙と鼻水と格闘した。


 「定時に来られなかったら、来なくていい。
  昼からだっていい。
  途中で調子が悪くなったら、すぐ帰ればいい。
  来られるときだけ来ればいい。
  会社に来て、新聞読んで帰るだけだっていい。
  
  仕事も、出来ることを一つ一つやっていけばいい。
  他のヤツが3ヶ月で出来るようになることを、
  半年や1年かけて出来るようになったっていいじゃないか。」


こんなどうしようもない私なのに、
なんて優しいんだろうって、嬉しく、暖かくなって、
さらに涙涙。
ありがとうという感謝の気持ちと、
申し訳ないという懺悔の気持ちとが入り交じって、
どうしていいかわからなくなってしまった。

でも、今の私には、
そこまで言って頂いても、恐らく、会社に来ることはできないと思った。
どうしても、一度休ませて欲しかった。


 「この診断書には、
  『鬱状態で、1ヶ月程度の休養が必要』と書いてあります。
  お医者さんが言うには、
  ちゃんと薬を飲んで、自責感を持たずに、
  しっかり休むことが回復への一番の近道だそうです。
  なので、可能であればお休みを頂きたいです。」

涙を必死に堪えつつ、そう言うと、

 「そうだ。あんまり自分を責めるな。
  頑張らなきゃって追いつめるなよ。
  美味しいモノ食って、ちゃんと休んで元気になれよ

そう言ってくれた。


すぐにでも休職させてあげたいけど、
ただ、Oサマ(取締役)が出張で出てしまっているため、
すぐには返事が出来ない。
他の上司や総務には伝えておく。
月曜は家にいるよな?
Oサマから電話がいくと思うから。

そんな話になった。


 「仕事が出来ないワケじゃない。
  ゼロから始めて、よく頑張ってると思う。
  オッサン達と一緒に楽しく酒だって呑める。
  お前、辞めちゃったら勿体ないだろー。
  せっかく俺が採用の判子押してやったんだから。」

とMさんは笑って、私を送り出してくれた。


 「どうもありがとうございました。
  ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ありません。」

そう頭を下げて、会社を後にした。


ちゃんと会社に行ってよかった。
自分の口から話せて良かった。
良い会社じゃん。
と思った。

自分に対しての不甲斐なさと情けなさと、
会社に対しての申し訳なさと、
そして嬉しさで、またも号泣して、
駅のトイレでしばらく落ち着くまで待ってから、ゆっくりと帰宅した。



夕方、家の電話が鳴り、またも過剰にドキドキしつつ出ると
Kさんからだった。

 「今日会社来たんだってね。
  僕ちょうど出ちゃってて、ごめんねー。
  これから呑みに行くんだけど、ちょっと出てこれない?」

どうしようか考えたけど、お断りさせて貰った。

Kさんも、またその呑みに行くメンツも好きだけど、
どうしても行く気分になれなかったから。


さらにその晩、会社の先輩の女の子、Kちゃんからメールが来た。
今まで何度か愚痴をこぼしあってた友達。
唯一の仲良しの女の子。
心配してくれて嬉しかった。



私は、白い目で見られるのを覚悟していた。
責められるのを覚悟していた。
もう辞めていいと言われるのを覚悟していた。
だからみんながあまりに優しくて、ただ嬉しかった。
「会社辞めたい」と何度となく思い、愚痴もこぼしてきたけど、
いい人達だなって思って、
辞めるという選択をするのも少し思いとどまった。

しかし、みんなの優しさに触れ、ココロが暖かくなった一方で、
余計に申し訳なくなってしまった。
こんなどうしようもない私なのに・・・・と。





結果的に言うと、
この後会社に行ったのは、退社の手続きの時だった。

留学やそれに纏わるコトで3分の2近い水が溜まり、
新しい環境や、職場でのストレスで水が注ぎ足された私のコップは
満杯のままで、
1ヶ月やそこらの休養では
中の水を減らすことも、コップを大きくすることも出来なかった。

むしろ、自分自身を追いつめることで
更に水を注ぎ足してしまったのだった・・・


(続く)

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【2007/09/02 03:56】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(8)
うつ日和。


「うつ病、パニック発作」から脱却。日々のことや旅のことなど徒然に・・・

profile

ico

Author: ico
age:33
大学時代はバックパッカー。卒業後海外留学。
日本へ帰国後、半年程の"留学ニート"を経て就職。
ところが働き始めて2ヶ月が経った頃、鬱病と診断されました・・・
パニック発作も起こしつつ、なんとか2ヶ月耐えて働くも、ついに休職。
そして追い出され退職。
周囲の協力の下、なんとか這い上がったはずなのに、気付けばオーバー30、フリーター。
歳は崖っぷち、人生は壁だらけの四面楚歌・・・
でもね、悲観はしてない。
没关系,慢慢儿走!


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