溢れたコップ  26
今日は途中目覚めながらも6時間睡眠。
病院へ行こうと思っていたのに、なんとなく外に出る気になれず、一日中家にいた。
多分、これは天気のせい。
やっぱり太陽の光って大事なんだよ。
青空が必要なのよ。

「冬期うつ病」なんてのもあるから、
これからどんどん日照時間が短くなって、
私の調子も下がってしまったらどうしようと、
少しだけ、要らぬ心配をしてしまった。


明日こそ病院に行って、今週中には実家に帰る予定。


さて、久しぶりに連載の続きを。
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




少し足取りが軽くなったものの、
それでも「会社の人間に合いたくない」という気持ちと共に駅に向かった。

しかしそう簡単にはいかない。


ちょうど地下鉄駅の手前で、同期入社のUさんに会ってしまった。

 「あ、こんにちはー」

と私が言うと、

 「あー、どうもーー」

と彼。
(彼は私より5歳位年上で、前職・前々職ともに同職種で働いてきた人)

 「最近はどうですか?」

と聞くと、

 「相変わらずだよー。とりあえず外出てフラフラして。
  残業代付かないから、定時で帰ってるよー」

簡単な挨拶をして別れ、彼は会社、私は駅へ。


そっか・・・
その位の気持ちでいなかったから、私は息が詰まっちゃったのかな。
私は窒息しそうになってしまったのかな。

なんだか少し、考えさせられた。


ボケーーっとしたまま地下鉄に揺られ、乗り換え、
また地下鉄に揺られ、家へ帰った。



母に電話をかけて、会社に行ってきたこと、
みんながとても優しかったこと、温かかったことを話した。

 「そっか。そういって貰えてよかったね。」



電話を切って、一服して、落ち着いた。


次の瞬間、止めどなく涙がポロポロと溢れてきた。


 「会社、本当に辞めちゃったんだ」

という実感が、じわりじわりと湧いてきた。


これで良かったんだ。
会社の負担にならないためにも。
自分のためにも。
治ったらいつでも戻ってこいって言ってくれたんだし。
会社の皆さんに迷惑を掛けてしまって本当に申し訳ない・・・

これで良かったのだろうか。
本当はもうちょっと頑張れたのではないのか。
この仕事は、私にとって望んでいた仕事だったはずではないか。
私は入社してから休み始めるまでの4ヶ月、何をしてきたのか。
休職中何をしてきたのか。
できることがあったのではないだろうか。
私は一体何をしていたのだろう。
何をしてきたのだろう。

これからどうなってしまうのだろうか。

社会から、隔絶されてしまった気分だ。
大学を卒業して、留学までさせてもらって、就職して。
それなのに、たった半年で辞めてしまった。
いい大人が、一体何をしているのだろうか。
社会から孤立してしまった・・・
私はフリーター?ニート?無職?ダメ人間?
どうしよう。
怖いよ・・・・


何とも言い難い不安感と虚無感。
自分がいる意味、存在意義を見失っている様な感じ。
自分が歩く道が見えなくて、
砂漠の真ん中で辺りをひたすら見渡しているような気分だった。



しばらくただただ涙を零していたけれど、
夜、会社のKちゃん(1年先輩で唯一の会社友達)と会う約束をしていたので、
気を取り直して、メイクを直して兄の元へ行った。

家に一人で居ると、また涙が零れてしまうから。
少しでも気を張らなければならない環境にいようと思ったから。



兄の元で時間をつぶして、Kちゃんからの連絡を待った。
漫画を読みながら、ネットをしながら。
でも落ち着かなくて、ソワソワしてしまって。
どうしようもなかった。



定時を過ぎ、Kちゃんから電話がきた。

Kちゃんが帰る都合もあるので、場所は東京駅、新丸ビルに決めた。
正直、私にとっては電車も、人混みも、オフィス街も辛い。
でもどうしてもKちゃんには会いたかった。
会わなきゃいけないと思った。


デパスを飲んで、我慢して電車に乗った。
そして東京駅に着いて、
新丸ビルの改札で、私はKちゃんを待った。

家路へと急ぐ人。
改札を出て、ビルに入っていく人。
沢山の”働いている”人たち。



私は、私ではなくて、抜け殻のような私になって、
ただボーーっと彼らを眺めつつ、Kちゃんを待っていた。


(まだまだ続きます・・・)



長文を読んで頂きどうもありがとうございます☆
続きが気になる方もそうでない方も、ポチっとよろしくお願いします。

     ↓          ↓          ↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ FC2ブログランキングrankingバナー
スポンサーサイト

テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2007/11/30 02:17】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(12)
認めるということ ~自分のものさし~
海外で生活をしていて、
もちろん楽しいこと、嬉しいこと、感動することが沢山あった。
その一方で、辛いこと、嫌なこと、悲しいことも沢山あった。

自国を出て、外から眺めることで、
改めて日本という国を見つめ直すキッカケになり、
日本の良いところを再認識し、
日本の悪いところにも気がついた。
結局私は日本人で、そして日本を愛してることも気がついた。
(この辺の話はそのうちまた書きます。)


海外生活で一番苦労したのが「文化の違い」。

こう文章にしてしまうと簡単だけれど、
実際に体感すると簡単ではない。

私は大学生の頃、色々と旅をしてきたからある程度は大丈夫だろうと
自分自身に対して変な自負があったのだろう。
その自負は、見事にも崩された。

旅と生活は全く違う。



挨拶一つ、謝り方一つ違う。
食事も、買い物の仕方も違う。
道を歩いていて見る風景も違う。
人々の表情も違う。
何もかもが日本とは違う。

そしてそれら全ての根底には「文化の違い」というものが存在する。


当然、文化の違いは”違い”であり、
どっちが正しくてどっちが間違っているというものではない。


それでも日本で生まれ育ち、日本の文化を身に付けている私には、
「なんで?」と思ったり、イライラしたりすることもあった。


そして結局、私が考えて、最後にたどり着いた結論は、

 「認める」

ということだった。
自分の”ものさし”を捨てて、相手の文化を認めること。
自分が受け入れられるかどうかはまた別として、
認め、尊重することが必要なんだとつくづく思った。


国際交流やら、外交やら、とにかくそういうもの全てに於いて、
まずは自分の自分たちのものさしを捨て、
相手を認めることから始めなければならないのだと痛感した。



さて。
日本人と外国人が交流=communicateする上で、自分のものさしを捨てて
相手を認めることから始めることが必要だと書いたが、
日本人同士ではどうだろうか。


私は日本人同士でも、communicateしていく上でものさしを捨てるというか、
ある程度そのものさしを緩める必要があるのではないかと思う。
相手を認める為には、それは必要不可欠なのではないかと思う。

人はそれぞれ、全く違う遺伝子を持っている。
産まれ育ってきた背景が違う。
親の教育も違う。
学校での教育だって違う。
育ってきた時代も違う。
場所だって違う。
見てきたモノ、感じてきたモノが違う。

そしてなにより、
価値観、priority、感性は人それぞれだ。

全く同じ人間なんて存在しない。
むしろみんながみんな同じだったら世の中が画一的でつまらない。
感動を受けることや感性を刺激されることだって無くなってしまう。
だから違いがあって良いのだと思ってる。


友達や恋人を作るとき、
無意識にこの違いが少ない人を選んでいるのか、
はたまた違いを面白いと思い、選んでいるのか。

その辺はよく分からないけれど。

(ちなみに、とある人から、
 「結婚するなら、限りなく価値観が近く、
  何か一つでも相手に尊敬出来るところがある人と結婚すればなんとかなる」
 と昔言われたことがある。
 それは、ホントにその通りかな、と思う。)


違いがあるからこそ、時に衝突だってある。

子供の頃、
 「人間だから好き嫌いがあって当然だ。
  嫌いな子がいたって当たり前だと思う。
  でも嫌いだからっていじめてはいけない。
  それは差別だ」
と繰り返し母に言われたが(小学校低学年の子に言う台詞か?と今になって思うけど。笑)
大人になった今だって、そうだと思う。


communicateしようと思ってもできない相手、
したくない相手だっている。

私は聖人君子じゃない。
むしろその逆。
嫌いな人は沢山いる。
自分のものさしを捨ててみても、理解不可能な人だっている。

それでも、受け入れることは不可能でも、認めることはしようと思ってる。
尊重する努力はしようと思ってる。

あぁ、こういう人もいるんだな。
なるほど、こういう風に考える人もいるんだな、と。



生きていく上で色々な人と関わり、communicateしていくわけだけれど、
その人と人の間には必ず違いがあり、
そして違いを乗り越えたり、はたまた乗り越えられなかったり。

でもそれでいいじゃない、と私は思う。

乗り越えられなくたって、違うんだって認識することで十分だと思う。
違いを非難する必要は、どこにもなくて、
そんなことをして、そんなことをされて、気分がいい人なんていないと思う。


違いは個性。
十人十色。
世界60億の人間は60億の色がある。

そういうこと。


だから、私は、
鬱病という病気を受け入れられない人がいるのも当然だと思ってる。
他人から理解されなくても、しょうがないと思ってる。
例え、それが家族であっても。

でも、理解はできなくても、受け入れられなくても
「そういう病気があるんだ」「病気=大変な思いをしているんだ」
と、もう少し、世の中全体が鬱病を認識してくれたっていいじゃないって思う。


   *   *   *


皮肉にも、コレが階段を突き落とされる直前に下書きしていた記事。

伯母は、鬱病という病気も、そして病気の私も認めてくれている。
それでも、伯母のpriorityやらで、私は時々突き落とされる。
そんなもんだ。


幸いながら、私の両親は、
「病気のicoも、icoという人間の一部分」として認めて、
さらにちゃんと受け入れてくれている。

さらに母に至っては、本を読んで勉強したりして、
どうしたら私にとって居心地が良いのか考えてくれている。
私が傷付くこと、負担となることはしないでくれている。


病気の私も、私として認め、受け入れてくれている人がいる私は、
とても幸せだと思う。
これ以上の高望みなんてしない。
これで、十分だよ。



読んで頂きどうもありがとうございます☆
私の原動力にご協力お願いいたします。

     ↓          ↓          ↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ FC2ブログランキングrankingバナー

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

【2007/11/23 02:33】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(14)
24歳、無職の女性。
夜のニュースを見ていてふと思った。

例えば今私が何か事件を起こしたり、何か事件に巻き込まれ、
それがテレビや新聞で報道されることになったら

 「24歳の無職の女性が・・・・」

という言い方をされるのだ、と。

私の勝手な偏見かもしれないけれど、
この言い方ってすごく嫌な響きを持っている気がする。

毎日ぷーたら何もしないで適当に生きて、
お馬鹿さんで、
時々悪いコトしちゃったり、
遊び回ってみたり、
ずるずると毎日を生きているようなイメージだ。
(あくまで私の勝手なイメージ。)


いや、確かに私は毎日ぷーたら何もしないで生きているけど。
でも病気を治すために毎日薬を飲んで、
うつ病になったことが無い人には分からない苦しみや辛さと闘ってるのに。
今は少しずつ良くなってきていて、家事をしたりして、
快復して社会復帰するために生きているのに。
働きたくてたまらない自分がいるのに。

それなのに、
 「24歳の無職の女性」
という言い方をされて、
世の中の人たちが、私が勝手に抱くようなイメージを持っていて、
そういう風に私のことを考えたら、心外だなぁ、と。
ショックだなぁ、なんて。
そんなことをちょっと思った。



でも、一方で、そのニュースを見たときに
 「ふ~ん・・・」
と思って、そんな勝手なイメージを抱くけれど、
もう次の瞬間には忘れてる私がいる。

そう、他人なんてそんなものなのだ。




私は今までのこの24年、
「他人からどう見られるか、どう見られているか」
ということを、とても気にしながら生きてきた様に思う。


小中学校の頃、勉強なんてしなくても当たり前に勉強ができた。
そして合唱コンクールではピアノの伴奏をし、
学級委員やら、クラス委員やら、何かの代表を任されることも多かった。
私は元々口数が少ないし、
自分で言うのもどうかと思うけれど「ずるい」ことをしない子だったので、
学校の先生や、周りの大人達にはいつも可愛がって貰えた。
「真面目で良い子」な優等生だった。
そしてそれを演じてる自分がいた。

周りの大人達は、
 「icoちゃん、とても優秀なんですってね~」
 「頭が良いんですってね~」
 「すごくお勉強のできる良い子だって聞きましたよー」
なんてことを口々に言った。

こういうことを言われて悪い気はしない。
子供心にも嬉しかった。



高校生の頃は、勉強なんてそっちのけ。
見た目を磨くことに必至になった。
カワイくなりたかった。
でも、ぶりっこみたいな可愛さは絶対にイヤで、
可愛くもあり、でもカッコイイ女の子でいたかった。

その結果、

 「icoちゃんには大学生の彼氏がいて、ドライブデートしてるんだよ」

と周りの友達は勝手に思ってたらしい。
(ちなみにその時私に彼氏はいなくて、
 毎日家に帰っては必至にプレステでFFをやっていた。爆笑)

そして、人生のモテ期が巡ってきたのか、幸運にも結構チヤホヤされた。
後輩の男の子達から「icoさんicoさん」と、もてはやされた。


見た目を磨くことに必至になっていたけれど、
なんとかそこそこの大学に引っかかり、大学へ入った。

周りの大人達は、
 「すごいわね~」
 「偉いわね~」
 「学校でも人気らしいわね~」
と言った。
やはり嬉しかった。



大学生になってからは、とにかく自立したカッコイイ女性でありたかった。
独りで何でもできる女性。
勉強なんて、ほとんどしなかった。
なんとか卒業できる単位を取得するだけ。
というのも、
大学に入ったものの、自分の興味の対象が変わってしまったから。

バイトに勤しみ、お金を貯めて、
休みになると独りで海外を旅して回った。
バックパッカーになったのだ。

海外を貧乏旅行していると、
必然的に現地の人に近い生活となり、
そして文化や宗教、国際関係、政治に興味が湧いてくる。
だから、興味の対象が変わってしまったのだ。

周りの友達や、大人達は言った。
 「独りでそんなところに行くなんて、すごく勇気があるね」
 「icoちゃん、カッコイイね」
 「すごいね~」

当然、私は嬉しかった。
だってカッコイイと思われたかったから。



就活の時期がやってきて、私は悩んだ。
興味の対象が変わってしまった今、皆が希望するような企業に入るのか。
はたまた狭き道、難しき道でも自分がやりたいことを目指すのか。

とりあえず、みんなに流され、みんなと同じような会社を受けてみたりした。
友達がエントリーシート落ちする中、
私は落ちることなくどんどん面接の予定が入っていった。

でも。
受験を放棄した企業多数。
ほとんど就活をやらずに終えた。

なんだか「この会社に入って自分が働くイメージ」が湧かなかったのだ。
唯一入りたいと思った数社は落とされた。

ま、そんなもんだろう、と思っていたところで

 「留学したら?」

と言われ、そうすることにした。


留学は、私にとって自分が進みたい道への軌道修正であり、
また一方でモラトリアムの延長だったのだと思う。



周りは言った。
 「カッコイイねー」
 「すごいねー」
 「羨ましいよー」

留学なんて、お金さえ出せば誰だって出来る。
でも、留学できる状況と、かなりの勇気と気力は必要だ。
だから少し嬉しかった。



ところが。
いざ留学をして、しばらくした後、まぁ色々とあって私は壊れかけた
それでも壊れかけたことに気付かないフリをして、
また、日本に一時帰国した時には、周囲にはカッコイイicoを演じて、
自分をだましだまし過ごした。


約束の一年を終え、向こうで決まった仕事も投げだし
日本に帰ってきて、なんだか「負けた」ように思った。

もうカッコイイ私では無くなった気がした。


「ニートなんて羨ましい」
などと胸に突き刺さる言葉を笑いで誤魔化して耐え、
就職しようという気持ちになって、就活をした。


大した苦労もせず、一社目で
私がやってみたかった仕事、やりたかった仕事にありつけた。
とても嬉しかった。

大企業ではないけれど、
周りから見たら「カッコイイ」と思われる仕事だった。

周りは言った。
 「さすがicoちゃんだねー」
 「すごいねー」
 「良かったねー」
 「カッコイイねー」

気分は上々。
周りからの評価も良いし、自分自身も嬉しいし、それこそ万々歳だった。


仕事は楽しくて、これからどうなっていくのかと思うとワクワクした。
ところが、壊れかけた私は治っていなくて、
会社でのストレスも重なり、完全に壊れてしまった。
うつ病になった。


そして休職し、退職し、
今、私は、24歳無職の女性である。


私は未だに、友達にも、周りの知り合いにも、
会社を辞めたこと、病気になったことを隠し続けている。

でも例えば暴露したらどうなのか。


 「大変だね~」
 「人生色々あるよー」
 「○○さん家のicoちゃん、会社やめて実家に戻ってるんだって。」
 「icoちゃん、精神科に通ってるらしいよ」

といった感じに言われるのだろう。
まさにその通りだが、今の私には、そう言われることが耐えられない。
だから隠し通している。



でも。
話が随分と遠回りしたが、先のニュース。
私はニュースを見て、「ふーん」と思い、次の瞬間には忘れる。

つまり、ここまで遠回りして何が言いたいのかというと、
他人の評価なんてそんなモノだということだ。


人は、あまり深く考えずにモノを言い、褒め、噂をし、
そしてその言ったことはその場限りの言葉が多いのだということ。
人の噂も七十五日。
噂が噂になったとしても、その程度だということ。


「偉いわね~」と褒める。
褒めるなんてとても簡単。
あいさつと変わらない。挨拶代わりだ。

「大変ね」と心配する。
でもその後、飯ものどを通らないほど心配する他人なんていやしない。


他人は私のことを思ってではなく
単純に簡単に、その場限りで言葉を口にするのだ。



私は、24歳無職の女性になって

「そんな言葉に振り回されて生きていくなんて馬鹿らしい」

とやっと気がついた。
そりゃー自分が我が儘であることや、
自分に対する自信のなさの裏返しで強がりになっていたこと、
甘ちゃんだってことはわかっていたけれど。

他人は私の幸せを保証してくれるわけではないし、
放った言葉に責任を持ってくれるわけでもない。

他人から自分がどう見られようが、どう評価されようが
自分が満足し、自分が幸せならばそれでいいのだ。

(もちろん、法を犯してはならないし、
 他人の幸せを壊してはならないというのが前提だけれど。)


そう気付いたら少しだけココロが軽くなり、
今後は人の評価なんて、あまり気にしないでいこうと思った。
他人は他人。私は私なんだから。


24年の歳月をかけて培ってきたこのクセは、なかなか抜けないだろうけれど、
それでもアタマの片隅に入れておくだけで、
大分気持ちは楽になるのではないだろうかと、私は思う。


     お爺さんとドーナツ
                    メキシコ、グアナファトにて。

写真はメキシコのグアナファトにて撮影したもの。
甘い甘いドーナツを売っているお爺さん。
時々寄ってくるハエや蜂をハタキで追い払いながら、のんびり日向ぼっこ。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:心と身体

【2007/11/17 03:58】 | 備忘録 | トラックバック(0) | コメント(34)
溢れたコップ  25
今日は結局朝方寝て、昼前に起床。
ロヒを1.5mgにしてみたら、なかなか丁度良い感じだった。
しばらくこれで様子を見てみるつもり。

母がチョコを買ってきてくれて、

 「昨日、『チョコばっかり食べてるから痒くなるんだよ』って言ってたじゃん。」

と私が言うと、

 「だってicoが『チョコとタバコがないと生きていけない』って言ってたじゃん」

だって。笑

ご飯だよーって呼ばれると「食べなきゃ」と思うし、
チョコは外せないし、
昼寝ばかりしているし・・・・
やはり実家にいると太る。
でもサンクチュアリ。


さて、忘れ去られている連載の続きを久々に。
面白くも何ともないと思うけれど、自己満ブログなので・・・・
その辺はお許し願いたい。
(これまでの話は、カテゴリー「うつ発症から退職までのハナシ」をお読み下さい)




退職日当日。

事務上、私が会社に在籍する最後の日であり、
また私が会社に行く最後の日。


前日、総務のTさんがうちの母に言って下さった台詞のお陰で、
大分気が楽にはなったものの、
それでも気が重くて、行きたくなくて、行きづらくて。

夜はちゃんと寝られないし、
朝目が覚めても起きあがれないし、
コンディションは最悪だった。
まぁ当然の話。

当分出番が無くなるだろう一番好きなスーツに袖を通し、
一番好きな黒の柄ストッキングを履いて、
一番好きなパンプスを履いた。
少しでも気分がよくなるように。


デパスを飲んで、駅に向かうも
動機と吐き気がしてきて、ハンカチを握りしめ、
最初の電車には乗れなかった。

約束の時間に遅れそうで、Tさんに電話をすると、
なんだか余計に心配してくれちゃって、申し訳なかった。
私がもうちょっと時間に余裕をみて、家を出ればよかっただけなんだから。


そして、なんとか、やっとの思いで会社の最寄り駅までたどり着いた。

駅から会社までの道のりで、会社の人に会うんじゃないかと怖かった。
どんな反応をしたらいいのかわからなかった。
急がなきゃいけないという思いに反して、
私の足は、一歩一歩、ゆっくりとしか進んでくれない。



会社に入って、エレベーターを待っていると、
営業のWさんに会った。
ドキッとして、どうしていいか一瞬迷ってると、
 「こんにちわ。お疲れ様。」
と笑顔で言ってくれて、少し気持ちがラクになった。


総務のある階でエレベーターを降り、
汗を流し、吐き気をこらえながら、極度の緊張とともにノックして、
 「こんにちは~」
とドアを開けた。

みんなの視線が私に集まったのが分かったけれど、
すぐにNさん(美人で優しくて、気の回る女性。”お母さん”みたいで大好き。)が
 「こっちね~」
って応接室に場所を移動させてくれた。


そしてNさんが、開口一番、
 
 「会社に来るの、大変だったでしょう。
  来づらいよね。気が重かったよね。ごめんね。」

もうその瞬間から、私は涙が出そうで、
でも一度泣いてしまったら、どうにもならなくなっちゃうから、
泣かないって決めていたから、なんとか我慢した。

 「辛かったでしょう。
  気づいてあげられなくてごめんね。
  何もしてあげられなくてごめんね。」



「ごめんなさい」は私の台詞だ。
それなのに、それなのに・・・・・。
必至に涙を堪えた。
私は、首を横に振ることしか出来なかった。


椅子に座って、Nさんが書類を持ってくるのを待つ間、
ハンカチで涙を拭いた。
泣いちゃいけないんだって自分に言い聞かせて、深呼吸。


署名をしたり、捺印をしたり、保険証を返却したり。
事務手続きをしながらNさんは、優しく色々話してくれた。

 「こんなことでへこたれちゃダメだよ」
 「icoちゃんは、せっかく実力があるんだからもったいないよ」
 「私も色々あったけど、乗り越えて、今では逞しいオバさんだよー」

私はただ、
 
 「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」

と言うことしかできなかった。


離職届の話になり、私は6ヶ月働いていたことになるため、
失業保険が出ると言われた。
(今年の10月から法改正が行われ、現在では1年。)

だから、今日まで退職の日を延ばしてくれたのか・・・
そう気づいて、会社にとても感謝して、一方でさらに申し訳なく思った。


Nさんとの手続きが終わり、最後に
 
 「4階の荷物、私が持ってきてあげようか?行きづらいでしょ?」

と言ってくれたけど、
私はどうしても、
自分の顔を見せて、自分で頭を下げなきゃいけないと思ったから、

 「ありがとうございます。でも大丈夫です。自分で行きます。」

と断った。
そして次はTさんとの手続きに入り、
社員証を返したり、会社で作ったクレジットカードの話やら、
給与の話やらをした。

 「今月分まで、給与出るからね。
  それからボーナスから差し引いた分の返却があるんだけど、
  いつもの口座でいいよね?」

とTさんが言った。
私は、良いこぶりっこじゃなく、本当に申し訳なくて、

 「私は会社に来てなかったし、働いていない。
  それなのに、給与も、ボーナスも・・・頂けないです。」

と言うと、

 「ボーナスの査定の期間はちゃんと働いていたんだし、
  今日まで社員なんだから、それはico君のモノなんだ。」

って。ただひたすらに申し訳なかった。

そしてTさんは、前日うちの母に言ってくれたように、

 「縁あって是非にと入社してもらって・・・
  社交辞令じゃなく、こういう形になってしまって本当に残念だ。
  また、いつでも戻ってきて欲しい。」


そういう様なことを言ってくれた。

 「社交辞令でもなんでも、そう言って頂けてとても嬉しいです。
  どうもありがとうございます。
  ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした。」

私はそう言った。
入社の手続き、休職の手続き、そして退職の手続き。
迷惑ばかり掛けていたのに。
嬉しい反面、申し訳なくてどうしようもなかった。

Tさんは、
 「4階の荷物、代わりにN君に取りに行かせようか?」
と気遣ってくれたけど、私は断った。
「偉い」って褒めてくれた。笑

どうもありがとうございました。
と頭を下げて、廊下に出て、エレベーターのところに行くと、
Nさんが「一緒に行こう」と言ってくれて、嬉しかった。
やっぱり不安だったから。



4階に降りて、Nさんが先に入って、後から私が入った。
するとすぐにMさんが席を立って来てくれて、ごあいさつ。
 「おい、ちょっとあっちで話そうよー」
と言われ、隅っこの談話スペースへ移動した。

Nさんは総務に戻るため、お礼を言って別れた。


手土産を渡してから、
私とMさん、Kさん、Oさんの4人で話をした。(Oサマは出張中だった。)
みんな、誰一人として嫌な顔をしなかった。
笑い話で終わりになった。
大丈夫か?って心配してくれた。


 「酒は相変わらず呑んでるのか?」(←会社で大酒飲みとして知れ渡っていた私・・・)

 「いえ・・・薬をのんでるので、極力控えてます。」

 「タバコは?」(←勤務中も疲れるとオジさんたちと一服してた私・・・)

 「それは相変わらずです。」

 「そうだよなーーータバコは俺たちにとっては精神安定剤なんだ!」

なんて話をして。


そしてMさんが
 「会社を辞めたからって、この関係が切れるワケじゃない。
  この近くに来たら、いつでも顔を出せ。
  元気になったらまた呑みに行こうな。」


と言ってくれて、とても嬉しかった。


自分の席へ歩きつつ、Kさんが
 「やつれた???」
と聞くので
 「はい。」
と答えると
 「嬉しいでしょ?」

素直に「嬉しいです☆」と答えると笑っていた。



私物をバッグに入れ、名詞とロッカーの鍵を返した。
Oさんが、
 「名詞なんか返さなくていいんだ。」
とか言い出して、Mさんは
 「せっかく頑張ってたのになー勿体ない。」

また涙出そうになったので、
 「元気になったらまた雇ってくださいね☆」
と笑顔で切り返し、みんなでエレベーターホールへ。

 「ちゃんと元気になるんだぞ!」

そんな言葉を貰って、私は、ただ

 「ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
  どうもありがとうございました。」

と頭を下げて、みんなとサヨナラをした。


会社を出ると、意外にもスッキリした気分だった。
これで、やっと終わったんだと思うと、少し、足取りも軽くなった。


(まだまだしつこく続きます・・・)


長文を読んで頂きどうもありがとうございます☆
続きが気になる方もそうでない方も、ポチっとよろしくお願いします。

     ↓          ↓          ↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ FC2ブログランキングrankingバナー

テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2007/11/10 04:29】 | ウツ発症~退職までの話 | トラックバック(0) | コメント(16)
なぜ私は実家に帰るのか。
昨晩(と言っても明け方だけど)は処方通りに
ロヒプノール2mgを1錠、アモバン7.5mgを2錠、デパスを1錠飲んで就寝。
寝られたけれど・・・・・。
起きてからしばらく怠く、薬が抜けてない感じ。
やっぱり2mgでは多すぎるかもしれない。
1.5mgとかにして様子を見てみてみようかと。


そんなのもあって、結局夜になってから実家に帰ってきた。
まぁ大した距離ではないし、荷物だってそんなにないハズなのに・・・
なぜかちょっぴり疲れた。
まぁ移動なんて得てしてそんなもん。

今回は、帰らなければならない用事があるから帰ってきた。
あと、両親が心配しているから。
母は「元気なら、別にどこにいたって構わない」と言うけれど、
心配だけでなく迷惑も掛けているので、
たまには元気な顔を見せなきゃ、と。

用事がなかったら、東京にいたかもしれないなーとふと思った。
以前は、実家に帰りたくて帰りたくてたまらなかったのに・・・・・。




会社に就職して、「調子がおかしい」と思い始めてから、
私は毎週末のように実家に帰っていた。

調子の悪さが気のせいではなく、
自律神経失調症、そして鬱病と判明した後も、
時間が許せば実家へ帰っていた。


東京の家は、伯母の家で、
その伯母の家は、かなり汚い。
散らかっている。モノが多すぎる。

朝起きて、身支度を調えて、一番最後にスーツを着て、
ストッキングにゴミが付かないように、私専用のスリッパで廊下をソロソロと歩き、
一度玄関を出てから自分を確認。
猫の毛を取ってから鍵を閉めて出勤。

帰りは同じようにソロソロと廊下を歩いて私の部屋へと行き、
どんなに疲れていても、酔っぱらっていても、
まずスーツを脱いで、バッグを安全なところに置いて、
部屋着に着替えて、
これで、やーーーっと座れる。
そんな状態だった。

それでも「伯母の家だから」という思いがあって、我慢していた。
掃除してもキリがなくて、諦めていた。


この家が、私の負担の一部となっていたのも事実。
だから、頻繁に実家に帰っていた。



そして、もう一つの、何よりの、最大の理由は淋しさ。

いつも、どうしても、ココロにポッカリと風穴が空いているような感じで、
その穴をなんとか塞ぎたくて。
淋しくて、不安で、辛くて、苦しくて。
最大の理解者であり、
絶対的に私を愛してくれる両親のところにいたかった。

東京には兄だって、友達だって、伯母だっている。
でも、やはり両親、特に母には誰にも勝てなかった。
強がりの私は、母の前でしか弱さを見せられないから。

守られていたかった。
孤独感から少しでも抜け出したかった。
「一人じゃない」って思っていたかった。

だから、実家に帰っていた。


鬱が一向に回復せず、むしろ悪くなっていって、
毎日、毎朝、毎晩、
 「あと○日で実家に帰れる」
とカウントダウンをしていた。
実家から通勤できたら、どれだけラクだろうと思った。
鬱も治るんじゃないかと思った。

母も笑って、
 
 「そうだよね。
  毎朝、毎晩駅まで送り迎えするよ。
  お弁当だって作ってあげる。」

そう言ってくれたけど、現実的には「通勤」は難しい距離で。
それを実行する力もなかった。


会社を休職して、
実家がメインの生活になった。
東京に行くのは2週間に1度の病院の日。

毎日「会社に行かなきゃ」と追いつめられてはいたけれど、
それでも実家の居心地はよかった。
とにかく、毎日何もせず、寝てばかり。
母が作ってくれるご飯を食べ、
気が向いたときにお風呂掃除や食器洗いなどの手伝いをして。
ドライブしつつコンビニ行ってチョコとタバコ買ったり、
母の買い物に付き合ったり。
そんな生活だった。


会社を退職した後も、
病院や、用事があるとき、伯母が出張の時などに東京に戻り、
それ以外は基本的に実家で過ごす日々が続いた。



ところが、
時間が経つにつれ、東京で過ごす時間が少しづつ増えてきた。
今では逆に、用事があるときに実家に帰るようになってきた。
鬱が少し回復してきた証拠なのかもしれない。
私が必至になって伯母の家を片付けたからかもしれない。
まぁその辺は自分でもよくわからないのだけれど。


もちろん実家はサンクチュアリなのだけど、実家に帰っても

 「ココロの風穴はこれ以上塞がらないのではないか」

と、ある時、ふと思った。

それは、風穴は病気のせいだから。
(私の鬱の最大の原因は、
 留学時代の極度の孤独と、友人の裏切りに由縁していると思う。)


もちろん私にとって実家に帰ることは大切なのだけど、
ある程度良くなったこれからは、
東京を本拠地に、病気を治していこうと思ってる。

なぜかはわからないけれど、その方がいい気がする今日この頃なのだ。



ブログの原動力の一つです。
よろしくお願いします☆

     ↓          ↓          ↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ FC2ブログランキングrankingバナー

テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2007/11/08 02:51】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(10)
うつ日和。


「うつ病、パニック発作」から脱却。日々のことや旅のことなど徒然に・・・

profile

ico

Author: ico
age:33
大学時代はバックパッカー。卒業後海外留学。
日本へ帰国後、半年程の"留学ニート"を経て就職。
ところが働き始めて2ヶ月が経った頃、鬱病と診断されました・・・
パニック発作も起こしつつ、なんとか2ヶ月耐えて働くも、ついに休職。
そして追い出され退職。
周囲の協力の下、なんとか這い上がったはずなのに、気付けばオーバー30、フリーター。
歳は崖っぷち、人生は壁だらけの四面楚歌・・・
でもね、悲観はしてない。
没关系,慢慢儿走!


*お願い*
管理人のココロの健康の為、誹謗・中傷等はご遠慮願います。また当ブログの記事・写真等の無断転載、転用を禁止します。リンクもご連絡頂いた上でお願い致します。


ご訪問どうもありがとうございます☆ お気軽にコメント&メールを頂けると嬉しいです。
さらに ↓ のブログランキングをクリックして頂けると、より一層管理人が喜びます。(笑)

blog ranking

ブログランキングに参加中!皆様のクリックが励みです。1日1クリックお願いします☆

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
FC2ブログランキング
rankingバナー

ご協力ありがとうございます!

recent articles

recent comments

archive

category

with photographs

写真と共に載せた記事です。カテゴリー「写真」には入れていません。写真を見たい方は、こちらからもどうぞ。

・the taj mahal (India)
・麦わら帽子 (Guatemala)
・純真 (Honduras)
・ダージリンの夜明け (India)
・秋葉原の夜 (Tokyo)
・歓喜 (India)
・Marlboro man (Honduras)
・お昼寝 (Mexico)
・標識 (Canada)
・チチカカ湖 (Peru)
・アンデスの母子 (Bolivia)
・菜の花畑 (China)
・夕暮れのグアナファト (Mexico)
・姉弟 (Peru)
・車窓から (Chile)
・Budda (Nepal)
・Stand by me (Bolivia)
・廃線 (Bolivia)
・弟 (Peru)
・お爺さんとドーナツ (Mexico)
・小休息 (China)
・古代インカの壁 (Peru)
・並び雲 (Bolivia)
・ステンドグラス (Spain)
・父子 (India)
・お母さん (Mexico)
・アマンタニ島から (Peru)
・母なる河、ガンガー (India)
・夕暮れのグァナファト (Mexico)
・リスボンの大通り (Portogal)
・冬のナイアガラ (Canada)
・リスボンの夕暮れ (Portogal)
・コパカバーナ (Bolivia)
・ジェロニモス修道院 (Portogal)
・乗馬 (Peru)
・メキシコの車窓から (Mexico)

注 : タイトルは記事タイトルではなく、写真のタイトルです。

counter

since 2007.8.28

RSS-feed

links

このブログをリンクに追加する

 

search in the blog