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【2008/12/05 15:00】 |
考える、考えない。
今日も落ち着いた一日。
午後、メイクして着替えて下へ行くと、父が
 
 「おっ!!どこ行くん?」

と一言。
そりゃーいつもユニクロの部屋着&スッピンですが。
その驚き方は無いでしょ、みたいな。

 「(タバコが切れたから)コンビニ行ってくる。」

と答えると、

 「なんだ〜。他に行くトコねーのかー。かわいそうにー。」

とニヤニヤ。
そう言いながらもポケットから小銭を取り出し、
 
 「コレでスタバのキャラメル味のヤツ、2個ね。」

だって。


母にはタバコを頼まれ、そしていざ車に乗って・・・
と思ったらガソリンが無かった。涙

まず給油して、そしてコンビニ。
それから本屋さんへ。
目に付くモノも特になく、欲しかったピアノの楽譜も無かったので
御祝い袋だけ買って帰宅。

今日はそんな一日。


   *   *   *


ここ数日、「考えさせられます」と言われる記事を続けて書いてきた。
正直これが良いことなのか、悪いことなのか私にはわからない。


私はただの24歳無職の生意気な小娘で、
人生経験が豊富なわけでもなく、
何かに秀でているわけでもなく、
ただ単に、自分が思うことや考えたことを書いているだけだから。


私が問題提起をして、コメントを下さる方がいて、
私はコメントを読んで考えて、なるほどーと思って少し見聞が広がる。
私自身はとても勉強になる。

でも一方で、私の問題提起は、
鬱病で苦しんでいる方を更に苦しめているのではないかとふと思ったりもする。



「お前は考えすぎなんだよ」
と私はよく言われる。
確かにその通りだと思う。
この「考えすぎ」は今に始まったことではなく、昔からそうだった。
だから私にとって、
「考えること」は一種のクセというか趣味みたいなモノ。
それが鬱の一因ともなってると思うけど、今回その話は割愛。


今現在、私はどん底だった頃から比べたら、
階段を何段上がったことか、
踊り場を何個超えてきたことかというくらいに快復傾向にある。(と思う。)

だから今の私にとって、自分で考えたいことを考えることは苦痛じゃない。


でも、どん底だった頃、
本当にもう考えるのをやめたくて、
自分の思考をストップさせてしまいたくて、
「考えるのをやめたい」
「考えない葦になりたい」
と何度思ったことか。
こんな記事を書いたこともあります。)

その時は、考えれば考えるほどマイナスの方向へと引きずり込まれ、
とにかく坩堝に填り、抜け出せなくなっていた。



だから、思った。

私の書いたブログの記事で、
誰かがマイナスの坩堝に填っていたら申し訳ないと。

私は、悪意があって書いているわけではないのだけれど、
もし、私のブログの記事で傷付いて、悩んでしまっている方がいたら、
本当にごめんなさい。
申し訳ありません。


それでもやはり、私は今後も考えて、そして記事にしていくのかなと思う。
私のブログにおけるスタンスは変わらないのかなと思う。

それが、私のブログ、「うつ日和。」だから。


         アマンタニ島から
                        ペルー、チチカカ湖アマンタニ島にて。

写真はペルーボリビア国境にまたがるチチカカ湖に浮かぶ島、
アマンタニ島にて撮影したもの。
青い空と、青い湖がとてもキレイでした。
皆様の心が少しでも晴れ渡りますように。




読んでいただきありがとうございます☆
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テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2007/12/10 04:47】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(20)
幸せの力 〜the pursuit of happyness〜
昨日みのむし生活をしたお陰か、
今日はちゃんとお日様の光りを浴びて、人間に戻れた。笑


9時に起きて、母に「おはよう」をして、野菜ジュースを飲んで、
薬がまだ残っていたので追加睡眠。
お昼に起きて、両親とお昼ご飯を食べた。

天気も良く、風もなく、気持ちの良い日だなー
犬の散歩にでも行こうかなーと思ったけれど、
(実家にはキャバリアとボストンテリアがいる)
昨晩寝る直前に飲んだコー●ックの効果が出て、
トイレとお友達状態になってしまった・・・・

薬を色々と飲み始めてから、
ただでさえ便秘だったのに拍車が掛かってしまって・・・涙
食物繊維を摂るように心がけてはいるのだけど、なかなか。


夕食は、すき焼き。
親子3人で鍋を囲んで、なんてことはない普通のことだけど、
なんだか幸せだなーって思った。
お腹いっぱいで苦しくて、薬を飲んだ後夕寝をしてしまった。

今日はココロがほのぼのモードの一日。


   *   *   *


大分前の話になるけれど、
ウィル・スミス主演の「幸せの力」が見たくて、
おとんに頼んで借りてきてもらった。
(言っておきますが、おとんを足に使ってるワケではないです。汗)

そもそもは映画館に見に行こうと思っていたのだけれど、
気付いたら終わってて、DVDでいっか〜と諦めたのだ。


この映画はウィルと、彼自身の息子が親子役で共演している。
ウィルの息子さんは、最初から配役に決定していたわけではなく、
ちゃんとオーディションを受けて、そして決まったらしい。
だから演技力も申し分ないし、
実の親子ということもあって、見ていて不自然さが一切無い。



自分の部屋でDVDを見て、その後おとんに

 「どうだった?」

と聞かれた私は(ちなみにおとんより先に私が見た)

 「んーーー、現代版『Life is beautiful』って感じ?」

という感想を述べた。
(『Life is beautiful』は私の好きな映画の一つ。)
結構深く、グッとくるものがあった。



時間が経った今になってもまだ、時々この映画を思い返す。

多分、その理由は
今の私に、欠けているものだから。
今の私に、教唆してくれているものだから。


どうしようもない、八方塞がり、四面楚歌の状態。
それでもどうしても息子と一緒にいたくて、
息子を守り抜きたくて、
涙を流しながら、恥も捨てながらも必死に頑張る父親の姿。

彼(つまり主人公のウィル)にとっての幸せは息子であり、
その幸せの為ならどれだけ大変で辛くても頑張れる。
自分の幸せを守るためならなんだってできる。

それだけ「幸せ」にはパワーがある。
そして、それだけ「守る物がある人」には強さがある。


母は強し。
よく言うけれど、母親には、守るべき子供がいるから強いのだろう。




今の私には、守るべき物は一切無い。
守るべき物は自分だけ。
むしろ、「守られている」側。
だから余計に強くなれないのではないか。

今の私は、自分の幸せを見失っている。
だから何かに無心に頑張ることができないのではないか。

先日のこの話にも繋がるのだけれど、
優しさや思いやりというものは、
守るべき何かが出来たとき、強さに変わるように思う。



今、守るべき物がないことはしょうがないとしても。

では、私にとっての幸せとはなんだろう。


それがわかったら苦労しない。
それがわかっていたら、今こんな状態にいない。



原題のthe pursuit of happyness。
pursuitは日本語に訳すと、追求、探求という感じ?


日々、小さなことに幸せを感じて生きてはいるけれど、
自分にとっての幸せの探求は、長い長い道のりかもしれない。



じゃあ、「幸せ」ってなに?


私が思う「幸せ」。
そのうちパワーがある時にでも書こうと思っている今日この頃。



       お母さん
                  メキシコ、サンクリストバル・デ・ラス・カサス近郊にて。

写真はメキシコのサンクリストバル・デ・ラス・カサスという街から少し離れた
先住民族の村、サンファンチャムラにて摂ったもの。
国や民族は違えど、母子の姿や絆って変わらないのだと実感できる一枚。
なんとなく幼き日の弟を思い出してしまう私です・・・。



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【2007/12/09 03:32】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(15)
普通であること、普通でいること。
昔々、高校生の頃、当時付き合っていた人が

 「オレは普通の人になるんだ。」

と言ったことがある。
世の中は90%の普通の人が支えて成り立っているから、
だから普通の人になる、と。

当時の若かりし私は、

 「ふーん・・・」

と言いながらも、
そんなのつまんない。夢が無さすぎる。と思った。

そして、どうでもいい話だけれど

 「オレはicoといると自分が惨めな気分になる。
  icoは自分のやりたいことがハッキリしていて、
  それに向かってちゃんと勉強もしてる。
  おまけにモテるし、いつも誰かに取られるんじゃないかって不安だ。

  一方でオレは、自分がやりたいことなんてよくわからないし、
  勉強もお前みたいにできないし・・・」

と彼に言われて、私は腹が立った。
だったら自分も頑張ればいいじゃない、と思った。
そんなセリフ、男が口にするなよとイライラした。


今となっては、私は若かったのだと思う。
そう言わせてしまった私にも責任があると反省してる。


自分がやりたいことがハッキリしてる人間なんてそうそういないし、
彼は真面目で、とても良い子だった。
何より「自分が惨めな気分になる」と素直に言えてしまうくらい、素直だった。
嫌みが何一つない子だった。
3年間、部活も毎日毎日頑張ってた。
高校3年間皆勤賞だった。


でも、”いつも安全牌”をとる、
そういうところが当時の私にはつまらなく思え、
サヨナラをしてしまった。

若かったな・・・私。
本当にごめんね。




時は流れ、今。

私は、若かりし当時「つまらない」と思った「普通」に憧れ、
そしてそれを欲しているように思う。

ずっと、「普通」なんてつまらないと思ってきたのに。


私はずっと、
ちょっとだけ普通じゃないことをしていたくて、そうありたくて。
だからというのも変だけれど、一人で色々な国を旅してこの目で見てきた。
その国の歴史や経済、政治といった背景も勉強したし、
色々と考えさせられてきた。


大卒後、私は新卒として企業に入社せず、留学をした。

でも、そこで気がついた。
「普通」に生きるコトが一番ラクで、おそらく最も陽の当たる道なんだと。
人と違うコトをするということは、
それ相応の努力と、気力と、精神力が必要なんだと。


周りの友達が社会人として歩み始めてる中、
自分だけ取り残されているような淋しさ、怖さも体験した。


留学をしてしまった私は、「新卒」という特権を放棄してしまったわけで、
就職をする歳に「既卒」「中途」扱いになる。
日本という国に於いて、これはとても不利なこと。

運良く就職先が見つかったとしても、
同期のみんなとお手々つないで”いっせーのせっ”と入社するわけではない為、
当然ながら一人努力を必要とされる。


私は就職する際、勿論その覚悟をしたうえで就職した。
居心地の悪さも感じたし、「新入社員教育」が無かったため、
なんとか自分から吸収すべく努力もした。

自分で選んだ道とはいえ、
新卒で就職してれば・・・と後悔もした。

結局、なんとかはなったけど(その後、病気で会社辞めたけど)
それでも「普通」に学校を卒業して就職していれば、
もっとラクだったのになと思わされた。



今、私は決して「普通」とは言えない状況にいる。


一人のいい年をした大人が、働かず、毎日ダラダラとして、
食べては寝て、たまに外出をして、たまに遊んで。
どう考えてもおかしい。
たまに退屈でたまらなくなる。


かと思えば、やはり私は病気らしいし、
今まで身体の丈夫さには自信のあったこの私が、
毎日毎日、数にしたら10錠もの薬を飲んでいる。
そして、
たまに調子が悪くなった時は、
泣いてみたり、落ち込んでみたり、死にたくなってみたりして。
目を瞑れば脳味噌がクルクル回ってる様な感覚に襲われ、
当たり前のように耳鳴りがして、
寝汗をかいて目を覚まし、
吐き気に襲われたり、頭痛がしたり。



普通でいたい。
「普通」がつまらないなんて、もう言わないから。


毎日、平穏に暮らしたい。
ちゃんと働きたい。
お金なんて必要最低限あればいい。

それで、
たまに「あぁ、今日は空がきれいだなー」って嬉しくなったり、
庭にスズメが飛んできて「カワイイな」って思ったり、
木を見て植物を見て肌で季節を感じて、
春は桜に心を動かされ、
夏は暑いって汗をかいて、
秋は紅葉を眺め、
冬は白い雪に心洗われて。

そういう風に、普通に暮らしたい。



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【2007/12/04 04:18】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(24)
素直になりたい。
昨日の夜、お風呂上がりに鏡を見たら
自分の顔色の悪さに驚いた。

今日は天気も良くて気持ちの良い日だったけど、眠り日になってしまって、
それでも沢山寝たお陰か、
ゆっくりお風呂に入った後、顔色は普通に戻っていた。


実家のシモンズのベッドは寝心地最高だし、
お風呂も東京のマンションと違ってのんびりゆったり出来るし、
なにより実家はやはりサンクチュアリだから、
気分も少しだけ落ち着いてきた。

ネイルをピンクと白のフレンチにして、
なかなか上出来で、それもまたちょっと嬉しくて。
今はトップコートが綺麗に乾くように、
ソロソロと気をつけながらキーボードを叩いている。笑


   *   *   *


昨日の記事にも書いたけれど、
私には、素直さが足りないとつくづく思う。
そして「素直になりたい」と切に思っている。


私は本当に意地っ張りで、強情っぱりで、強がりで、見栄っ張りで、ひねくれ者だ。

他人から正論を言われるとムカつく。
素直にごめんねって言えない時がある。
友達の幸せを心から喜べない時がある。
人の成功を妬ましく思うことがある。

ホントに最低な人間だと思う。


私は、
嬉しいときに素直に嬉しいって言えて、
美味しいモノを食べたときに美味しいって顔ができて、
好きな人には好きだと言えて、
悲しいときは悲しいって言えて、
淋しいときは淋しいと口に出して言えて、
辛いとき、苦しいときも必要以上の我慢をせずに、無理だと言えて、
他人のことも素直に喜んで良かったねって言えて・・・
そんな素直な人間になりたい。


私が素直じゃないってわかってる人たちに対しては、構わない。
icoはそういう子なんだって理解した上で接してくれてるわけだから。

でもそんな人なんて家族くらいなもので、
それ以外の人たちは、
意地っ張りで、強情っぱりで、強がりで、見栄っ張りで、ひねくれ者な私をicoとして見るわけで。
そしたらicoという人間は、本当に最低。
(まぁ実際に私は最低ですが。)


私が嬉しくてもそれは相手に伝わらず、
美味しいモノを食べていても、「美味しくなかったかな」と心配させてしまう。
周りにも迷惑な話だ。



素直になれたら、もうちょっと良い方向に変われる気がする。


24年間の歳月を掛けて、こうもひねくれてしまった私は、
その術を知らないし、
簡単には素直になれないのかもしれないけれど、
それでも、少しずつでいいから素直になりたい。


        ステンドグラス
                             スペイン、バルセロナ郊外にて。

写真はスペイン、バルセロナ郊外にあるコロニアグエル教会堂。
ガウディの作品の一つ。
細部まで細かく趣向を凝らし設計されていて、とてもステキだった。
その中でも、この蝶をモチーフにしたステンドグラスと
そのステンドグラスを通した教会堂内の光りは、最高だった。



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【2007/12/03 04:46】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(8)
認めるということ 〜自分のものさし〜
海外で生活をしていて、
もちろん楽しいこと、嬉しいこと、感動することが沢山あった。
その一方で、辛いこと、嫌なこと、悲しいことも沢山あった。

自国を出て、外から眺めることで、
改めて日本という国を見つめ直すキッカケになり、
日本の良いところを再認識し、
日本の悪いところにも気がついた。
結局私は日本人で、そして日本を愛してることも気がついた。
(この辺の話はそのうちまた書きます。)


海外生活で一番苦労したのが「文化の違い」。

こう文章にしてしまうと簡単だけれど、
実際に体感すると簡単ではない。

私は大学生の頃、色々と旅をしてきたからある程度は大丈夫だろうと
自分自身に対して変な自負があったのだろう。
その自負は、見事にも崩された。

旅と生活は全く違う。



挨拶一つ、謝り方一つ違う。
食事も、買い物の仕方も違う。
道を歩いていて見る風景も違う。
人々の表情も違う。
何もかもが日本とは違う。

そしてそれら全ての根底には「文化の違い」というものが存在する。


当然、文化の違いは”違い”であり、
どっちが正しくてどっちが間違っているというものではない。


それでも日本で生まれ育ち、日本の文化を身に付けている私には、
「なんで?」と思ったり、イライラしたりすることもあった。


そして結局、私が考えて、最後にたどり着いた結論は、

 「認める」

ということだった。
自分の”ものさし”を捨てて、相手の文化を認めること。
自分が受け入れられるかどうかはまた別として、
認め、尊重することが必要なんだとつくづく思った。


国際交流やら、外交やら、とにかくそういうもの全てに於いて、
まずは自分の自分たちのものさしを捨て、
相手を認めることから始めなければならないのだと痛感した。



さて。
日本人と外国人が交流=communicateする上で、自分のものさしを捨てて
相手を認めることから始めることが必要だと書いたが、
日本人同士ではどうだろうか。


私は日本人同士でも、communicateしていく上でものさしを捨てるというか、
ある程度そのものさしを緩める必要があるのではないかと思う。
相手を認める為には、それは必要不可欠なのではないかと思う。

人はそれぞれ、全く違う遺伝子を持っている。
産まれ育ってきた背景が違う。
親の教育も違う。
学校での教育だって違う。
育ってきた時代も違う。
場所だって違う。
見てきたモノ、感じてきたモノが違う。

そしてなにより、
価値観、priority、感性は人それぞれだ。

全く同じ人間なんて存在しない。
むしろみんながみんな同じだったら世の中が画一的でつまらない。
感動を受けることや感性を刺激されることだって無くなってしまう。
だから違いがあって良いのだと思ってる。


友達や恋人を作るとき、
無意識にこの違いが少ない人を選んでいるのか、
はたまた違いを面白いと思い、選んでいるのか。

その辺はよく分からないけれど。

(ちなみに、とある人から、
 「結婚するなら、限りなく価値観が近く、
  何か一つでも相手に尊敬出来るところがある人と結婚すればなんとかなる」
 と昔言われたことがある。
 それは、ホントにその通りかな、と思う。)


違いがあるからこそ、時に衝突だってある。

子供の頃、
 「人間だから好き嫌いがあって当然だ。
  嫌いな子がいたって当たり前だと思う。
  でも嫌いだからっていじめてはいけない。
  それは差別だ」
と繰り返し母に言われたが(小学校低学年の子に言う台詞か?と今になって思うけど。笑)
大人になった今だって、そうだと思う。


communicateしようと思ってもできない相手、
したくない相手だっている。

私は聖人君子じゃない。
むしろその逆。
嫌いな人は沢山いる。
自分のものさしを捨ててみても、理解不可能な人だっている。

それでも、受け入れることは不可能でも、認めることはしようと思ってる。
尊重する努力はしようと思ってる。

あぁ、こういう人もいるんだな。
なるほど、こういう風に考える人もいるんだな、と。



生きていく上で色々な人と関わり、communicateしていくわけだけれど、
その人と人の間には必ず違いがあり、
そして違いを乗り越えたり、はたまた乗り越えられなかったり。

でもそれでいいじゃない、と私は思う。

乗り越えられなくたって、違うんだって認識することで十分だと思う。
違いを非難する必要は、どこにもなくて、
そんなことをして、そんなことをされて、気分がいい人なんていないと思う。


違いは個性。
十人十色。
世界60億の人間は60億の色がある。

そういうこと。


だから、私は、
鬱病という病気を受け入れられない人がいるのも当然だと思ってる。
他人から理解されなくても、しょうがないと思ってる。
例え、それが家族であっても。

でも、理解はできなくても、受け入れられなくても
「そういう病気があるんだ」「病気=大変な思いをしているんだ」
と、もう少し、世の中全体が鬱病を認識してくれたっていいじゃないって思う。


   *   *   *


皮肉にも、コレが階段を突き落とされる直前に下書きしていた記事。

伯母は、鬱病という病気も、そして病気の私も認めてくれている。
それでも、伯母のpriorityやらで、私は時々突き落とされる。
そんなもんだ。


幸いながら、私の両親は、
「病気のicoも、icoという人間の一部分」として認めて、
さらにちゃんと受け入れてくれている。

さらに母に至っては、本を読んで勉強したりして、
どうしたら私にとって居心地が良いのか考えてくれている。
私が傷付くこと、負担となることはしないでくれている。


病気の私も、私として認め、受け入れてくれている人がいる私は、
とても幸せだと思う。
これ以上の高望みなんてしない。
これで、十分だよ。



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【2007/11/23 02:33】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(14)
ランドセルの中身。
小学生の頃、私は家で勉強なんてしたことがなかった。
塾にも通ってなかった。
唯一の習い事はピアノ。

でも、宿題だけはちゃんとやっていた。
私にとって宿題とは、やらなければならないモノであり、
学校の先生との一種の”約束”だったから。

と言っても学校の宿題なんて大した量じゃないし、
授業中にさっとやって終わらせてしまうことも多々あったけれど。

私の赤いランドセルの中身はいつも整理整頓されていて、
学年で一番小さかった私には大きく見えるそのランドセルを背負って
毎日毎日学校に通っていた。



一方で。
私と同じように小さくて、
そして私以上に見た目が可愛かった弟。
(お目々パッチリ睫が長くて、下ぶくれで、小さい男の子って可愛くないですか?)
弟が毎日毎日背負って通っていた黒いランドセル。
その黒いランドセルの中身は、「アコーディオン」だったと母は言う。


宿題のプリントが入っているのを意に介せず、
教科書やノートを詰めて、取り出して・・・を繰り返した結果、
紙が蛇腹状に折れてしまう。

そしてある時ランドセルをひっくり返すと
蛇腹状のアコーディオンと化したプリントが大量に出てきたそうな。



ある日、それに気付いた母が、
(母にとっても宿題はやって当たり前のモノ)

 「ねぇ、けーちゃん、これ宿題だよね?」

と聞くと、

 「うん。そうだよ。」

と弟。

 「・・・・・・。
  宿題、やっていかなくていいの?
  学校に行って、先生に何て言うの?」

 「『忘れちゃった』って言うの。」


母は戸惑ったらしい。

 「ふ〜ん・・・・。
  そう言うと、先生は何て言うの?」

 「『じゃあ明日持ってきてね』って言うの。」


 「それって先生は、『やってくるのを忘れた』んじゃなくて、
  『持ってくるのを忘れた』んだと思ってるんじゃないの?」

 「うん・・・・そうかもしれない。」

 
母は驚いたらしい。


そして最後に弟が

 「でもね、お母さん。
  次の日になると、先生は何も聞かないんだよ。
  だからいいの。」


母は絶句したらしい・・・・。



以前、こんな話を書いたが、
同じように育てたはずなのに、どうしてこうも違うのか、
この子(弟)は、何を考えてるのだろうかと、
母はびっくり仰天だったとか。



弟は(身内の欲目を差し引いても)いい加減なヤツではない。
真面目だし、良い子だと思う。
私よりも優しい人間だと思う。

今では下ぶくれは影も形もなくなり、
細面のひょろっとした子になっている。
(男として見たときに、私の恋愛対象にはならないけど。笑)
そして大卒1年目の今は、
某会社で毎日遅くまで、土日も返上しながら働いている。


でも彼は、自分の中での「線引き」が出来るのだと思う。
線引き・・・割り切りともいえるかな。

真面目だけれど、
自分がやりたくないことを、無理してまでやらないという線引き。



一方、私はその線引きができないのだと思う。
やりたくなくても、無理をしても、
頼まれれば、しょうがないと思いながら、
笑顔で応えてしまい、一生懸命にやってしまう。
自分の身を削ってでもやってしまう。

それが、今の「病気」という結果を招いた一因だと思っている。
だから今後は、自分の中で、
”ここまで”という線を引けるようになることが必要なのかな、と。
なかなか難しいところだけど。



みなさまは子供の頃、宿題、ちゃんとやってました?
それともランドセルの中身はアコーディオンでした?


     弟
                    ペルー、クスコ近郊にて。

写真はペルーのクスコから少し離れた村で撮ったモノ。
お兄ちゃんが弟を可愛がってるのが印象的でした。



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テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2007/11/16 02:52】 | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(21)
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うつ日和。


「うつ病、パニック発作」と診断された私が思うことなどを適当に・・・

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ico

Author: ico
age:25
海外留学から日本へ帰国後、半年程の"留学ニート"を経て就職。
ところが働き始めて2ヶ月が経った頃、鬱病と診断されました・・・
パニック発作も起こしつつ、なんとか2ヶ月耐えて働くも、ついに休職。
そして現在は退職し、のんびり毎日を過ごしています。

*お願い*
管理人のココロの健康の為、誹謗・中傷等はご遠慮願います。また当ブログの記事・写真等の無断転載、転用を禁止します。リンクもご連絡頂いた上でお願い致します。


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